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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第5回   (5)日蓮との対話

『哀れよのぉ…』
ふと、人の声がした。
 足を組み、目を瞑っていた時宗は、ゆっくりと目をあけた。

 目の前に、黒の僧衣をまとった、ひとりの僧侶がいた。
 時宗は、目を凝らす。

(はて、どこかで、見たような…。そうだ、日蓮…。われに忠告の文を届けた…)
 時宗は、少し、胸を張った。

『哀れと申されるか』
時宗は、高所から声を出した。
 しかし、おのれの声が、ややかすれ、力がないように感じられた。

『おそれながら、執権殿におかれては、いまだ、餓鬼、畜生の境涯にござる。声聞(しょうもん)、縁覚(えんかく)の世界にも達しておられませぬ』
日蓮の目は鋭かった。
 時宗は、日蓮の言葉よりは、その視線のきらめきに、はっとする。

(この僧侶、見抜いておるのか。われは、自分ながら菩薩道にはとうてい達せぬと思っていた。しかし、せめて、声聞・縁覚の境涯まではと、思っていた。がしかし、それすら叶わぬのか。父と同じように、執権の座を捨て、出家すれば、それもできると思っていたが)

『心の迷いは、執権殿の信仰の対象が誤っているからにござる。正しき教えに帰依なされませ。さすれば、迷いが解けましょうぞ』
日蓮の言葉に、時宗は、わずかに笑った。

 いまさら、後戻りなどできるものかと時宗は思い、
『われの迷いは、われの信じる禅宗にあらず、われの信仰の未熟さにござる』
と、答えた。

日蓮は、諭すように時宗に言う。
『声聞・縁覚の道を探ろうとなさるのなら、釈迦牟尼仏の説かれた法をすべてお読みくだされ。そこから、正しき道を見極めなさるがよろしいか、と存ずる。それなくしては、声聞・縁覚の道すら覚束無いと、おぼしめされるが肝要か、と』

 時宗は日蓮の顔をじっと見た。
 日蓮の眼差しは、先ほどよりは、ずいぶんと優しいものになっていた。

(この僧侶、思ったほどには怪僧ではない。やはり、仏教の徒には間違いがない)
 そう思って、時宗も、日蓮に向けた視線を少し、和らげていた…。(つづく)


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