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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第4回   (4)悩める執権

 時宗は、廊下の板の間を歩きながら、平頼綱が、日蓮を竜ノ口の刑場に引っ立てるにちがいないと思った。
(われは、つい、言い放ってしまったのだ、日蓮は傲慢な僧侶だ、と…)

 先程の、評定の間に引き返そうかと思った。しかし、足は勝手に座禅堂に向かっている。

(まだ、間がある)
仮に、日蓮を刑場に引き連れて行ったとしても、早馬を跳ばし、処刑はするな、と言えば、まだ間に合うと思ったのだ。

 時宗は、ひとり、座禅堂に篭っている。
胸が高鳴る。
 心を落ち着かせようと、何度も口で呼吸をした。

(まつりごとを行う者として、僧侶ひとりすら、押さえられぬのか)
と時宗は思う。

 執権の座に就(つ)いて、早や3年が経つ。
 われの思いは未だ、幕府の中や鎌倉の町には、浸透していないのか?。

 確かに、政(まつりごと)を行う者が、正しい教えに帰依しなければ、天変地異が起こり、国内は乱れ、国外からも敵が攻めて来よう。
 よって、日蓮の申すことは当たっているのだ。

 われの曽祖父である泰時(やすとき)は、関東御成敗式目(ごせいばい・しきもく)を定められた。
 家来が主君に忠義をつくし、子が親に孝行を成し、妻が夫に従う、また、曲がった心を捨て去り、正しい行いを賞すれば、おのずと、百姓(ひゃくせい)、職人らが心安らかに暮らしていけるだろうと考えられ、この式目を定められたのだ。

 力の無い者が政を行えば、仕える者たちは惑い、やがて、仕える者たちの中から、己が己がと、上の位をねらって争うようになる。
 そのような乱れた国なら、外の国の者たちから見れば、格好のえじきとなろう。

 日蓮の申すことは当たり前と言えば、当たり前のことなのだ。
 
 所詮、武士の頭領(とうりょう)たるわれに力がないゆえに、人々が迷い、日蓮のような僧侶の言うことが、最もらしく聞こえることになるのだ。

 力無き者は、頭領の座を引くべきなのだ。そして、力ある者がその座について、皆をまとめていけばよい。

 だが、力ある者とは、どんな者を指して言うのであろうか?。

 弓矢に強き者か、いや違う。
 公平、迅速に裁きを行える者か、いや違う。
 銭を持っていて、貧しき者を救う者か、いや違う。
 仏の教えをもって衆生を迷いから救う者か、いや違う。

 時宗は、迷った。
しかも、己を振り返れば、ただ、前の執権であった最明寺入道時頼の血を受け継ぐ者というだけのことではないか。
 血は重いというが、ただそれだけで、己が勝手に、人を、そして物事を裁いてよいのか?。

 人は、血筋はあらえぬとか、毛並みがよいとかいうが、それは、口先ばかりのことではないのか。
 評定衆、寄合衆の会合でも、われが言い出して通ることなど、10に1つもないではないか。
 すべて、安達泰盛らの決めたことが、まかり通る。
 われは単に、祭り上げられているだけではないのか?。

 体中の血が顔に集まり、そして、それがまた、目に集まって来る。
 それを押さえようと、時宗は、腹の下に力を込めていった。(つづく)


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