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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

最終回   (30)父の許に旅立つ
                               
 時宗は、父の笑顔に、かすかな笑みをもって応えている。
 父の口許をじっと見つめていた。
「時宗、あの世では、親子ではないのかもしれぬ。じゃが、おぬしのそばにいて、おぬしを守ってみせようぞ」
父の目を見た。

 時宗には、父の目が濡れているように思えた。
 時宗は胸を熱くして涙を流した。


「父上、しっかりしてくださりませ」
時宗はふと、己が呼ばれているのに気がついた。

(われは、どこにいるのだ?)
 時宗は、暗闇のなかにいる自分に戸惑っている。

「父上!」
再び、耳元で声がした。
われの声ではない、貞時の声だと思った。

 しかし、まぶたを開けることができなかった。
時宗は、頭のどこか一点のみがまだ、息づいており、そのわずかな神経のみで、今、己があの世にいるのか、この世にいるのかを推し量ろうとしていた。
その、か細くなった神経すら、その命の灯火を消そうとしている。

 しかし、今、貞時と、永遠の別れをしようとしているのでないことがわかった。今は、父の許に行くだけだと思った。
 そして、父とともに天にいて、天から、貞時を見守ってやれるのだと思った。

 心にやすらぎがひろがっていく。

 しかし、その中で、うずくような気持ちがぽつんと、芽生えていた。

 と、時宗は、寺の庭を歩いていた。
 どこの寺なのか、わからない。

 安寿尼が近寄って来る。
 安寿尼の顔がよく見える。
 その顔には、われのことを案じてくれている様子がはっきりと読み取れた。

『時宗さま…』
 声はなかった。
 が、安寿尼のくちびるは、そう告げていた。

 時宗は、じっと見つめた、安寿尼を。まるで、今生の別れでもするかのように。
 いや、安寿尼とは、永遠の別れになるような気がした。
 悲しかった。

(何を言えばいいのであろう?)
 安寿尼に言うべき言葉が見つからない。
 が、時宗は、さらば、とでも言うように、少し、頭を下げていた。

 安寿尼のすがりつくようなまなざしに、時宗は胸が熱くなった。

(これは、何なのだ。多少は、天が恩賞でも与えたもうたのか?)
衆目の面前で、小笠懸で的を射て、父上に褒められた時と同じような、うれしさがあった。

 安寿尼がそばに居てくれたときの、浮き立つような心のざわめき、そして、一時のやすらぎ。それが、今でもはっきりとよみがえる。
 そのうれしいような、うずくような気持ちは、きっと無間地獄の中でも、われを慰めてくれるような気がした。

 時宗は、おのれの心に微笑んだ。
(われの心のなかには、いつも安寿尼がいる…)

 と、突然、目の前が暗くなった。
 
 時宗は、頭の中の、か細い神経の火が燃え尽きようとしている瞬間、おのれの体が浮遊し、肉体も魂すらも、宇宙のかなたに、吸い込まれていくような気がした。
                               (おわり)


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