「安達殿、今は、国難のときにござる。寺社もあらゆる調伏をしている最中ではありませぬか。日蓮の横暴を許してはなりませぬぞ」 平頼綱の声が、時宗の耳に入る。 時宗は、平頼綱の横顔を見た。青白い。
すると、今度は、安達康盛の声がした。 「頼綱、坊主の言うことなど、いちいち気にするでない。戦(いくさ)をするのは、武家ではないか」
「武家、武家と言われるが、御家人どもの足並みも乱れておるではありませぬか」 平頼綱が安達康盛に噛み付いている。
そして、なおも、平頼綱が続けている。 「武家も、禅宗、律宗、浄土宗と、それぞれに信仰をしておりまする。それをかき乱す輩を放って置くのは、幕府の威信にかかわりまするぞ」 平頼綱は、最後は、顔をゆがめ、吐き捨てるように言った。
(幕府の威信とは、煎じ詰めれば執権の威信か) と、時宗は苦笑している。 安達康盛は、時宗の方は見ずに、平頼綱に向かって言っている。 「頼綱、では、そなたは、一体、どうすればよいと思うのじゃ?」
「幕府の威信にかけて、日蓮を罰するのでござる」 平頼綱は胸を張って言う。
「ほーっ、頼綱は、日蓮を竜ノ口にでも引っ立てて、首をはねよ、とでも言いたいのか。それこそ、そなたは無間地獄に落ちるぞ」 「何の、戯言を。われは、幕府の威信で、寺社の乱れを治めねばならぬと、言っておるだけのこと」 時宗は、言葉こそ発しなかったが、われも弱腰よな、と、己自身につぶやいている。そして、目を瞑る。
(日蓮を切るか。いや、しかし、釈迦牟尼仏の弟子を切って、果たしてそれで済むものか?) 時宗は迷っている。
(武家の頭領としての執権ならば切る。しかし、われは禅宗の徒とはいえ、仏教の徒にはちがいない。法華経を信じる日蓮とて、仏教の徒ではないか。同じ仏教の徒ならば、切れぬ)
「時宗殿、わしは、佐渡あたりに流せば、それでよいと思うがの」 安達泰盛の声が耳に入る。 時宗は目を開いた。 (時宗と呼ぶな、今は、執権と申せ) 時宗は、こちらを向いている泰盛の目を睨みつけた。
がしかし、安達泰盛はまるで意に解さぬように、今度は、平頼綱の方を見ながら、言葉を継いでいる。 「わしは、切るまでには及ばぬと思うがの…」
時宗は、そういう安達泰盛の横顔を見た。
(われは執権という地位にあるが、優柔不断なところもある。が、先程の泰盛の目に、われに対する蔑みの色はなかった…)
それで、時宗は、多少、安堵しながら、泰盛に向かって、口を開いた。 「仏の教えは、日蓮の申すような卑小なものではない。仏の教えとは、もっと寛大なものぞ」 時宗は、しゃべりながら、己(おのれ)が激していると思った。 胸から口許へ、口許から目へと、血が登って来る。 (そうなのだ。日蓮の教えのみが正しいとは、決して言えぬ…)
目に熱を感じ、目玉が飛び出しそうになったので、己の激情を口から吐き出す。 「法華経のみが仏の教えとは、傲慢至極…」 時宗は、そう言い放つと、突然立ち上がった。
安達泰盛と平頼綱は、ふたりとも、あっけに取られたような顔をしている。
が、時宗は、二人の視線を無視した。 席を立って、廊下に向かう。 胸が高鳴り、床板を踏む足先が震えている。
(座禅を組まねば) と、時宗は思った。(つづく)
|
|