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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第29回   (29)父の背中を見て育つ

 時宗は、父を見習って、座禅を組むようになった。
それは、確かに苦行であった。
 それに、当初は、座禅からは何も得られないような気がしていた。
 しかし、何とかその苦行を続けられたのは、父に一歩でも近づきたいという一念からであった。

『時宗、禅によって胆力を鍛えよ』
という父の言葉が耳にあって、それに引きずられてきただけのような気がするのだ。

 もっとも、南宋から招いた、無学祖元から、『時宗殿、座禅は悟りを得るだけの所業にはござりませぬ。印度の僧侶たちは、こうした座禅の姿勢で、口や胸ではなく、腹の下で息をし、その息を体中に回すのでござるが、丹田より気を取り入れることは、体力、気力を醸成する上で効用があるのですぞ』と聞いてからは、自ら進んで、気力回復のために、寄合衆との合議が終わると、座禅堂に入ったものだった。

 そのような修業は確かにしてきた。しかし、小笠懸で、父の面目を果たしてのちは、ほとんど父に誇れるようなことを成し得なかったような気がする。

 結局は、法華経を釈迦牟尼仏の唯一絶対の教えとして、他の法を非難する日蓮を佐渡ガ島に流し、兄時輔を京に遣り、公家どもに調略された(取り込まれた)と口実をつけて殺してしまった。

 時宗は、わずか18歳で、執権職に就かされた。
 確かに一所懸命に勤めた。蒙古の脅しには、一歩も引かぬという気概を常に持ち続けた。しかし、その戦に参加した武士たちの恩賞は十分でなかった。いずれ、中小の御家人たちは、生活に困ることになろう。
 それに、近頃では、元は鍬を持っていた農民であったのに、武士のように弓や刀をもって、略奪と不法を働く悪党たちが出て来たが、彼(か)の者たちを取り締まることも、決して容易なことではなかった。

 たまたま、大風が吹いて、蒙古は退散してくれたのだ。
 として見れば、自分は、運のみで、ここまでやって来られたのかも知れぬと、時宗は思うのだ。

時宗が執権の座についてから、16年の年月が過ぎていた。
 小笠懸の鍛錬や禅の修業は続けて来たものの、寄合衆の合議の時の胃の腑のよじれ、それを麻痺させようと酒をあおったせいで、胃の腑がしだいに爛れてきた。そのうち爛れが寄り集まって塊となり、熱を帯びはじめた。それは、もはや咽喉から注ぎ込んだ酒をも取り込んで火の塊となり、それが、胃の腑全体を焼き尽くすかのように思われた。


 ある夜のことだった。
 胃の腑の激痛に、耐えていると頭がしびれ、やがて頭が回らなくなった。

 時宗が激痛に呻き、身をよじった瞬間、深い谷底に突き落されて行った。
 ゆらゆらとからだが、暗い闇を舞い落ちていくのだ。
 落ちながらも、少しは意識がある。それは多少の不安感であり、陶酔感であった。

 ふんわりと、どこかの草叢に、身が横たえられたようだ。
 体が楽になった。

 目をあける。
見上げると、父がいた。
「時宗、よう来たの」
父の笑顔がなつかしく、そして、己の哀れさがみじめで、時宗は涙した。
「父上、申し訳ございませぬ」
「何を申す、そちはようやったではないか」

「しかし……」
「わしが成し得なかったことを、お主は立派にやったではないか」

「しかし、あれは、たまたまのことにござります」
「よいではないか、時宗。小笠懸の小さな的を射るのも、蒙古という大獅子を退散させたのも、お主は、われよりさらに、運があったということよ」

「運だけにござります」
「運も力のうちよ」

「しかし、父上、われには、何ひとつ良いことがごさいませんでした」
「そうかのぉ、執権として生まれ、執権として死んだ。何の不足がある?」

「父上の子として生まれながら、執権としての器(うつわ)がありませんでした」
「なに、たまたま、お主は、わしの血を受け継いだまでのことかもしれぬが、天がお主にそのようなお役目を与えられたまでのこと。お主が悪かったのならば、天の采配が悪かっただけのことよ」

「しかし、力のなかったわれのために、多くの者が……」
「それを言えば、切りがない。それは、わしとて、同じこと。それぞれが定めの下に生まれ、死んでいっただけのこと。それは、執権の座にある者とて、変えられぬ運命なのじゃ」

「しかし、父上、ひとつだけ良いことがございました」
父は不思議そうにこちらを見ている。
時宗は少し気後れしたが、思い切って言った。
「父上の子として生まれてきて、良かったことでございます」
父の顔が崩れ、まるで子どものような照れ笑いをしていた。
「ふーん、そうか」
 父はうれしそうであった。

 その顔に勇気を得て、時宗は言葉を継いだ。
「貞時は、わが子ながら、父上に顔がよう似ておりました。父上のことを思い、貞時に孝行をと思ってきました。十分ではありませんでしたが…」
「まあ、よいではないか。あとは、貞時に任せればよい、われらの務めは、貞時が傷ついて、こちらに来たときに暖かく迎えてやればよい」

「こちらとは?」
「ああ、ここか。ここは、地獄でもない、極楽でもない、ただの寝所よ」
「寝所?」
「時宗、そのうち、そなたにも、ここがどこか、わかるようになる。それまで、ゆっくりと寝ておれ」
時宗は自嘲して頬が引きつるのを感じたが、それでも無理に笑みをつくりながら言った。
「ここは、あの世ではありませぬのか?」
「いや、ここは、この世なのだ。この世でしばらく眠り、また元気になって、あの世に行けばよい」

「あの世に行く?」
「そうよ。また、あの世に行くのじゃ」
時宗は、父が、『あの世がこの世で、この世があの世なのじゃ』と言っているように思われた。
 が、それを質す勇気はない。
 ただ、また、地獄のようなあの世に行くのかと思い、顔をゆがめた。もうどこにも行きたくはなかった。
 それで、父に言った。
「われは、もう、執権にはなりとうござりませぬ」
「何になりたい?」

「われは、田地を耕し、米や麦を作る百姓に」
「そうか、それもよいかもしれぬのぉ。では、わしが先にあの世に行き、悪党の頭領にでもなって、お主を待っていることにしょうぞ」

「父上が悪党に?、そうまでされなくても」
「何を言うか、時宗。今のあの世で百姓らを守ってやれるのは、幕府でもない、執権でもない」
確かに、父の言うとおりかもしれない。しかし、たった一人の力で何ほどのことができようかと思った。

 幕府の中を内から変え、守護や地頭たちの頭の中を変えることが先決ではないのか。悪党では何も変えられぬ。

 もっとも、われは、幕府どころか、寄合衆、評定衆の意識すら変えることができなかった。
 父上なら、変えることができたかもしれぬ、と時宗は首をうなだれている。

 時宗は、父に質した。
「父上、地頭たちは、それほどまでに、名主や百姓らをいじめておるのでございますか?」
「そうよ、鎌倉の奥に引っ込んでいたなら、そのようなことはわかるまい」

しかし、時宗は、己が悪党にもなれそうになかった。きたない身なり、貧しい食事、そ
のようなことには耐えられよう。しかし、地頭たちに、刃を向ける力も度量もなかった。
(父上ならできようが、われには到底無理というもの)

「父上が、われには、うらやましゅうございます。われには、せいぜい、土地を守り、稲を育てることしかできそうにありませぬ」
「何の、時宗。そなたは、何のために、禅の修業をしてきたのじゃ。それは、胆力を鍛え、己の私利私欲を消し、衆生を救おうというためではなかったのか。土地を守る百姓、百姓らの暮らしを守る名主こそ、わしは、敬っておる。それらの者たちの命と暮らしを、横暴な地頭から守ってやることこそ、面白きことよ」

 時宗は、父がうらめしかった。きっとして、父の目をにらんだ。

 しかし、父の、おだやかな面差しを見つめるうち、その怒りは少しずつ鎮まり、その慈愛に溢れた笑顔に、救われる思いがした。
                               (つづく)


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