時宗は、父を見習って、座禅を組むようになった。 それは、確かに苦行であった。 それに、当初は、座禅からは何も得られないような気がしていた。 しかし、何とかその苦行を続けられたのは、父に一歩でも近づきたいという一念からであった。
『時宗、禅によって胆力を鍛えよ』 という父の言葉が耳にあって、それに引きずられてきただけのような気がするのだ。 もっとも、南宋から招いた、無学祖元から、『時宗殿、座禅は悟りを得るだけの所業にはござりませぬ。印度の僧侶たちは、こうした座禅の姿勢で、口や胸ではなく、腹の下で息をし、その息を体中に回すのでござるが、丹田より気を取り入れることは、体力、気力を醸成する上で効用があるのですぞ』と聞いてからは、自ら進んで、気力回復のために、寄合衆との合議が終わると、座禅堂に入ったものだった。 そのような修業は確かにしてきた。しかし、小笠懸で、父の面目を果たしてのちは、ほとんど父に誇れるようなことを成し得なかったような気がする。 結局は、法華経を釈迦牟尼仏の唯一絶対の教えとして、他の法を非難する日蓮を佐渡ガ島に流し、兄時輔を京に遣り、公家どもに調略された(取り込まれた)と口実をつけて殺してしまった。 時宗は、わずか18歳で、執権職に就かされた。 確かに一所懸命に勤めた。蒙古の脅しには、一歩も引かぬという気概を常に持ち続けた。しかし、その戦に参加した武士たちの恩賞は十分でなかった。いずれ、中小の御家人たちは、生活に困ることになろう。 それに、近頃では、元は鍬を持っていた農民であったのに、武士のように弓や刀をもって、略奪と不法を働く悪党たちが出て来たが、彼(か)の者たちを取り締まることも、決して容易なことではなかった。 たまたま、大風が吹いて、蒙古は退散してくれたのだ。 として見れば、自分は、運のみで、ここまでやって来られたのかも知れぬと、時宗は思うのだ。 時宗が執権の座についてから、16年の年月が過ぎていた。 小笠懸の鍛錬や禅の修業は続けて来たものの、寄合衆の合議の時の胃の腑のよじれ、それを麻痺させようと酒をあおったせいで、胃の腑がしだいに爛れてきた。そのうち爛れが寄り集まって塊となり、熱を帯びはじめた。それは、もはや咽喉から注ぎ込んだ酒をも取り込んで火の塊となり、それが、胃の腑全体を焼き尽くすかのように思われた。
ある夜のことだった。 胃の腑の激痛に、耐えていると頭がしびれ、やがて頭が回らなくなった。 時宗が激痛に呻き、身をよじった瞬間、深い谷底に突き落されて行った。 ゆらゆらとからだが、暗い闇を舞い落ちていくのだ。 落ちながらも、少しは意識がある。それは多少の不安感であり、陶酔感であった。
ふんわりと、どこかの草叢に、身が横たえられたようだ。 体が楽になった。
目をあける。 見上げると、父がいた。 「時宗、よう来たの」 父の笑顔がなつかしく、そして、己の哀れさがみじめで、時宗は涙した。 「父上、申し訳ございませぬ」 「何を申す、そちはようやったではないか」
「しかし……」 「わしが成し得なかったことを、お主は立派にやったではないか」
「しかし、あれは、たまたまのことにござります」 「よいではないか、時宗。小笠懸の小さな的を射るのも、蒙古という大獅子を退散させたのも、お主は、われよりさらに、運があったということよ」
「運だけにござります」 「運も力のうちよ」
「しかし、父上、われには、何ひとつ良いことがごさいませんでした」 「そうかのぉ、執権として生まれ、執権として死んだ。何の不足がある?」
「父上の子として生まれながら、執権としての器(うつわ)がありませんでした」 「なに、たまたま、お主は、わしの血を受け継いだまでのことかもしれぬが、天がお主にそのようなお役目を与えられたまでのこと。お主が悪かったのならば、天の采配が悪かっただけのことよ」
「しかし、力のなかったわれのために、多くの者が……」 「それを言えば、切りがない。それは、わしとて、同じこと。それぞれが定めの下に生まれ、死んでいっただけのこと。それは、執権の座にある者とて、変えられぬ運命なのじゃ」
「しかし、父上、ひとつだけ良いことがございました」 父は不思議そうにこちらを見ている。 時宗は少し気後れしたが、思い切って言った。 「父上の子として生まれてきて、良かったことでございます」 父の顔が崩れ、まるで子どものような照れ笑いをしていた。 「ふーん、そうか」 父はうれしそうであった。
その顔に勇気を得て、時宗は言葉を継いだ。 「貞時は、わが子ながら、父上に顔がよう似ておりました。父上のことを思い、貞時に孝行をと思ってきました。十分ではありませんでしたが…」 「まあ、よいではないか。あとは、貞時に任せればよい、われらの務めは、貞時が傷ついて、こちらに来たときに暖かく迎えてやればよい」
「こちらとは?」 「ああ、ここか。ここは、地獄でもない、極楽でもない、ただの寝所よ」 「寝所?」 「時宗、そのうち、そなたにも、ここがどこか、わかるようになる。それまで、ゆっくりと寝ておれ」 時宗は自嘲して頬が引きつるのを感じたが、それでも無理に笑みをつくりながら言った。 「ここは、あの世ではありませぬのか?」 「いや、ここは、この世なのだ。この世でしばらく眠り、また元気になって、あの世に行けばよい」
「あの世に行く?」 「そうよ。また、あの世に行くのじゃ」 時宗は、父が、『あの世がこの世で、この世があの世なのじゃ』と言っているように思われた。 が、それを質す勇気はない。 ただ、また、地獄のようなあの世に行くのかと思い、顔をゆがめた。もうどこにも行きたくはなかった。 それで、父に言った。 「われは、もう、執権にはなりとうござりませぬ」 「何になりたい?」
「われは、田地を耕し、米や麦を作る百姓に」 「そうか、それもよいかもしれぬのぉ。では、わしが先にあの世に行き、悪党の頭領にでもなって、お主を待っていることにしょうぞ」
「父上が悪党に?、そうまでされなくても」 「何を言うか、時宗。今のあの世で百姓らを守ってやれるのは、幕府でもない、執権でもない」 確かに、父の言うとおりかもしれない。しかし、たった一人の力で何ほどのことができようかと思った。
幕府の中を内から変え、守護や地頭たちの頭の中を変えることが先決ではないのか。悪党では何も変えられぬ。 もっとも、われは、幕府どころか、寄合衆、評定衆の意識すら変えることができなかった。 父上なら、変えることができたかもしれぬ、と時宗は首をうなだれている。 時宗は、父に質した。 「父上、地頭たちは、それほどまでに、名主や百姓らをいじめておるのでございますか?」 「そうよ、鎌倉の奥に引っ込んでいたなら、そのようなことはわかるまい」 しかし、時宗は、己が悪党にもなれそうになかった。きたない身なり、貧しい食事、そ のようなことには耐えられよう。しかし、地頭たちに、刃を向ける力も度量もなかった。 (父上ならできようが、われには到底無理というもの)
「父上が、われには、うらやましゅうございます。われには、せいぜい、土地を守り、稲を育てることしかできそうにありませぬ」 「何の、時宗。そなたは、何のために、禅の修業をしてきたのじゃ。それは、胆力を鍛え、己の私利私欲を消し、衆生を救おうというためではなかったのか。土地を守る百姓、百姓らの暮らしを守る名主こそ、わしは、敬っておる。それらの者たちの命と暮らしを、横暴な地頭から守ってやることこそ、面白きことよ」 時宗は、父がうらめしかった。きっとして、父の目をにらんだ。 しかし、父の、おだやかな面差しを見つめるうち、その怒りは少しずつ鎮まり、その慈愛に溢れた笑顔に、救われる思いがした。 (つづく)
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