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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第28回   (28)せめてものわれの自慢

 時宗自身としては、親孝行をなし得たと思うことが、ひとつだけあった。
あれは、確か、極楽寺流北条重時大叔父の館(やかた)の落成式のときだった…。

 時宗は、急に、呼び出された。
『小笠懸(こかさがけ)を披露せよ』ということであった。

急ぎ駆けつけてみると、父がいた。そして、宗尊(むねかた)将軍もおられた。

 時宗は、舞いあがった。
(何故に、われが呼び出されたのだ)
頭が真っ白になった。

 その時、父の声が耳に入った。
「一度、馬を走らせよ」

(なぜだ?。われは、一度切りで小笠懸をやってみせるのに…)
 時宗は、動揺しながらも、自尊心だけはあったようだ。

 が、しかし、父の言うことには従わざるを得なかった。
時宗は、馬場を走った。馬足が早い。
 時宗は、小笠懸の的(まと)を、右目の端でわずかにしか捕らえられなかった。

 小笠懸の的は、その名のとおり、的が小さい。
 5寸(約15センチ)の篠竹の先が2つほどに割ってあり、そこに4寸(約12センチ)四方の板が挟んであるが、その小さな板こそが、的なのだ。

 時宗は、胸がどきどきと波打っているのがわかった。
馬場を引き返す。
 引き返させながら、的に当てることを考えるなら、馬足は少々遅くするしかあるまいと思った。
 そして、幼き頃、父の言われていたことが甦った。
『時宗、的を迎えに行くな』

 そうだ、討とうとしてはならぬ、的が討ってくれという時まで、待てばよい、そう思うと、心が落ち着いた。

 父は、幼き頃から、われの弓の稽古を見てくれたものだ。
遠笠懸(とおかさがけ)は、的まで、8丈(約18メートル)もある。
 時宗は上背がなく、短い弓しか繰れないせいもあって、なかなか飛距離が出ず、的に当たらない。
 そのとき、父は、『矢を上向きにつがえ、空に弧を描くつもりで放て』と教えてくれたものだった。
 小笠懸は、弓目(左目)の遠笠懸と違い、馬上で、弓を右手にまわし、馬目(右目)の方向に放つ。

『敵は左手のみならず、右手より襲って来ることもある、小笠懸にも熟達せねばならぬ、それに左ばかりにひねっていては腰を痛める。小笠懸は右手に腰をひねる。小笠懸の稽古は腰のためにもよい』
と、父は教えてくれたものだ。

 馬上から馬場の道が見えた。かすかに小笠懸の的が見える。時宗は、その的が近づいて来るのを待つような気持ちで、静かに馬を走らせた。走りながら、左目に矢をつがえる。足で馬の腹をたたく。馬がやや首を下げてくれる。矢を右目(馬目)に移す。矢をつがえつつ、的が己のふところにやって来るまで待つ。的が近づく。的が近くに迫り来て、大きくなる。
 時が止まった。
 時宗は、息を止め、ゆっくりと、矢を放った。

 的のそばを通り過ぎた。その瞬間、的となっていた板切れが、空中に飛び散るのを時宗は、目の端で捕らえていた。

(父上、やりましたぞ)
 そうつぶやいたとき、馬に跨っていた足が震えはじめた。それがなかなか止まらない。たかが、このようなことで、とは思うが、唇すら震えはじめていた。馬が馬場を駆けぬけていく。

(まあ、よいわ、われが射たわけではない。馬の方が上手に駆けてくれたのだ)
 時宗は、ちらりと頭の隅で、宗尊将軍にご挨拶をせねばならなかったか、と思ったが、父上に己れの動揺を見られたくなかった。それで、馬が走るに任せ、そのまま、得宗館に向かって走り去って行った。

 その夜、時宗は父に呼ばれた。
時宗は、将軍に挨拶もせずに、やぶさめ馬場を退場したことを叱られると思った。心はびくついていたが、あやまるしかない、と思い定め、父の居間の戸を開けた。

 時宗は、頭が上げられず、視線を落とし、板間の目を見ながら、進む。
 顔を上げた。
 父上は、機嫌の悪そうな顔ではなくて、時宗は、ほっとした。

「申し訳ありませぬ」
「何か?」
「いえ、皆々様にご挨拶もせず退散いたしたこと、お詫びいたしまする」
「ああ、そのことか、それなら、気にするでない。しかし、でかしたぞ、時宗。あのような場で、よう、的を射た。わしなら、はずしていたやもしれぬ」

「父上なら、そのようなことは……」
「いや、わしは近頃、弓を持っておらぬゆえな」
「しかし……」

「よいか、時宗、慢心するでないぞ。今日は、たまたま、当たったと思え、常日頃の精進こそ、大事なのじゃ」
「父上、われは……」
「われは上がっておった、ということか。わしに、わからいでか。馬上のお主の顔は、血の気を失い、真っ青であったわ」
父が笑っている。

 時宗は顔を赤らめていた。
(父上には、すでに見抜いておられたのだ…)
時宗は、ほっと溜息をつく。肩から力が抜けていくのが、はっきりとわかった。
                                  (つづく)


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