20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第26回   (26)時宗を拒絶する安寿尼

 時宗は、女のからだの固さから、おのれが女から拒絶されているように思った。
 少し手をゆるめ、腕を伸ばして女のからだを引き離し、女の顔を見つめた。

『そなた、いつか、われに、自ら、身を投げたのではなかったのか?』
そう、時宗は、女の心に問いかけている。

 女は、こちらをじっと見つめている。
 女は、少し悲しそうなまなざしをしているように思えた。
 また、その目は、そのように自ら身を投げたようなことはない、と語っているようにも思えた。

かといって、女が心を開かぬのでは、先に進めぬ…。
 女の心を開きたい一心で、時宗は、目で、
『そなたが、いとおしい』
と言った。

『なぜ?』
女の目が、そう問いかけている。

『わからぬ。心が勝手に、そなたを求めているのだ』
時宗は、己の刺すようなまなざしに、女がおびえているように感じたので、目をそらし、再び、女の肩に置いた手の先に力を込め、女のからだを引き寄せようとした。
 が、女が、からだの芯に力を込めているらしい。十分に、こちらに引き寄せられぬのだ。

 時宗は、いらだって、声を挙げた。
「そなたは、わが身を売ってでも、任那寺に寄進を求めようとしたのではなかったのか?」

時宗は、おのれが激していると、頭の隅ではわかっていた…。
 女を責めるように、見つめている。
 女が、しきりにかぶりを振っている。
「ならば、何故に、そなた、われに媚びを売ったのだ?」
女は黙って、面(おもて)を伏せている。

 女の顎の下に手を添えて、女の顔を挙げさせ、その目をじっと見ていた。
『任那寺の住職に言い含まれたのであろう』
 その言葉は、しかし、吐かない。
その代わりに意地悪な目で、女の額を刺している。
そして、時宗は、言葉に出さず、心の中で、女に語りかけた。
『われは、執権ぞ。ただで、そなたを抱こうとは思わぬ。見返りのものはくれてやろう。そなたも、そのつもりで、この館(やかた)に来たのであろう…』

 そう心の中で告げると、しかし、女の目の中に、悲しげな色が広がるのが見えた。

 その変っていく色合いを見ながら、一瞬可哀想だと思ったが、残酷な心がそれに打ち
勝ち、女をさらに抱かんと、手の先に力を込めていく…。

その時、時宗の胃の腑に痛みが走った。

(早くせねば)
時宗は急いた。
 しかし、胃の腑に痛みが、徐々に女の肩に置いた手の力を弱めていく。
 顔面(がんめん)が、ゆがんでいくのがはっきりとわかる。
 ついに、女の肩に置いた手を外さねばならなかった。
 腰に痛みが走り、額に油汗がにじんでくるのだ。

 吐き気を感じた。
 思わず、手を口に持っていく。手の平全体で、口をしっかりと覆う。しかし、吐いた、吐かざるを得なかった。
 手の平に、ねっとりとした、やや熱のある液状のものを感じた。

 女が、解放され離れる。
「いかがなされました」
女の声がし、女が立ち上がる気配がした。

 女が燈心に油を注しているようだ。
部屋が明るくなった。
 時宗は、己の手を眺めた。手に赤い血があふれていた。
 その血の赤さに、青ざめている。

 時宗は、呆然としていた。
 女が、手拭のようなものを懐から出し、汚れた手を拭いてくれた。
 そして、女の手の支えを得て、床の上に仰向けに寝かされていた。

(情けない)
そういう思いが目に涙をもたらしている。
目をつむった。
女が、口許を、そして涙を拭いてくれていた。
 しかし、その様が、一層、己の情けなさを増長して、まぶたから勝手に涙が溢れ出ている。
女が早く、この場を去っていくことを願っていた。

(執権でもない、一人の男でもない。われは一体、何なのだ)
胃の腑のしびれが、頭にも襲って来る。
 目が開けられず、体がどんどん奈落の底に落ちて行くようであった。
                               (つづく)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8562