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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第23回   (23)ああ、われの愛しき人

 それからも、安寿尼は、病の面倒を見に、部屋を訪れていた。
その奉仕に報いるためにも、時宗は、執権として恥ずかしくない態度で、病と戦わねばなるまいと思っていた。
 山腹や谷底の戦(いくさ)で、苦しみ悶えながら死ぬよりも、こうして、屋敷の中にいて療養できることは、はるかに、幸せなのだと、思おうとした。

「直(なお)ると思うて、召し上がりくださいませ」
と、安寿尼に差し出される青汁を飲み、粥(かゆ)を食べた。
咳き込み、血を吐いたとき、思わず、目から涙を流してしまう…。
 寝衣の着替えを手伝ってもらうこともある。
 手がしびれる。それで、目や頬や口の汚れを、安寿尼に拭いてもらうこともある。

腰の痛み、足のむくみから、立ち上がれぬときは、安寿尼の手を借りて、廁(かわや)に向かわざるをえなかった。

 一時の間であろうと、身が捩られるような胃の腑の痛みから解放されたとき、安寿尼の優しい仕草や眼差しを思い出し、時宗は、人としての申し訳なさ以上に、安寿尼に女を感じ、胸のときめきを感ずるようになっていた…。

 しかし、その一方ではまた、一時の安らぎから、一転して、胃の悶えの苦しみがはじまると、所詮、この女、任那寺の住職に言い含まれて、われの看病をしているだけのことよ、と呪った。

 二日ほど、安寿尼の姿が見えなかった。代わりの女が来て、薬草などの面倒は看てくれたが、時宗は己の気分が苛立っているのがわかった。
任那寺の住職のところに行っているのではないかと、時宗は、嫉妬の念に駆られていた。

 と、三日目、安寿尼が顔を見せた。
 ほっとする。
 が、時宗は、
「どこに行っておった?!」
と、思わず口にした。

 しかし、安寿尼からの返事はない。

『任那寺か?』
と言いかけたが、その言葉はやっとの思いで、腹の中に飲み込む。
 安寿尼の落ち着き払った態度がうらめしかった。

 しかし、安寿尼は、時宗が寝ているそばに、じっと座っていてくれる。
 うれしかった…。

 寝ていて、天井を見上げ、そして、目の端で、安寿尼の顔をとらえると、いらだちが徐々に弱まっていく。気分が落ち着くと、静かに目を閉じた。

 安寿尼は、よく世話をしてくれる。
 安達泰盛に、文(ふみ)を書き、任那寺への寄進を考えねばならぬと、時宗は考えていた。

 時宗は目覚めた。眠っていたらしい。
 見渡すと、安寿尼がいない。安寿尼を呼びそうになった。すると、部屋の外に、女の声がした。
 寝たまま、身をよじって、障子の方を見た。

 ふたつの影が見えた。
 障子が開けられる。
安寿尼と、妻の祝子であった。
時宗は思わず、顔を半分ほど、布団の中に埋め込ませていた。

「御台(みだい)様が、お越しにございます」
安寿尼の声だ。
 安寿尼の顔をそっと看る。
 その顔は穏やかで、優しくて、時宗は、少し腹立たしかった。

 妻の祝子に視線を移す。
 目で、『済まぬ』と言い、心の中であやまった。

「お変わりござりませぬか。安寿尼様から聞けば、養生に専念されておられるとか」

(何を馬鹿な…。われは、安寿尼にも、そなたにも、わがままばかり申しておるのに…)
時宗はそう思いながらも、
「早く良くならねば、そなたの兄にも、迷惑をかける」
と、妻の祝子に言った。

「しばらくは、ご用の方は、放念なされませ」
『任せられぬものなら、とうに任せておるわ』
時宗は、そう、妻に毒つきたかったが、そばに安寿尼がいるので、押し黙っていた。

「執権様は、時に、起き上がろうとなされます」
安寿尼が、妻に語っていた。
「そうでしょうね、この人には、座禅がお命(いのち)なのです、わたしには、まるで、わかりませぬが」
妻が笑って答えていた。

「でも、執権様のように、座禅修行にご熱心な方は、わたくしの周りの禅僧の方々の中にも、ついぞ御見かけ致しませぬ」
安寿尼の顔が真剣であった。
 それが、時宗にはうれしかった。
 しかし、恥ずかしくて、思わず目をつむった。

「座禅を組んで、病(やまい)が直せるものならば…。でも、わたしも、仏様に手を合わせているのですが…」
妻の祝子の声が耳に入る。

 時宗は、己が祝子に対して、何もできなかったことが悔やまれて、心の中で詫びを入れている。

「御台様、お茶を差し上げましょう、茶室へ御移りなさってくださいませ」
 安寿尼の落ち着き払った声が耳に入る。
「そうですか。そなたのお茶なら、いただきましょう」
女ふたりは、部屋を出て行ってしまったようであった。

 時宗は目を開けた。

 気がつくと、背中に汗をかいている。
 身をよじった。
 自然に乾くのを待つしかなかった。
しかし、気分は良かった。

 障子が閉じられている。
 今は、這ってでも、開けに行きたかった。そして、庭の草木を眺めたいと思った。
 しかし、腹に力が込められない。
 また、腰から下を自由に動かすことができないのだ。

 ひとりで、半身すら起こせない。
 情けなくて、涙がにじむ。

 涙をこらえるように、時宗は、じっと目を閉じた。
(安寿尼を手込めにしようなぞと考えていたが、そんなことをしなくて良かった…)
と思った。

(もし、そのようなことをすれば、妻が悲しみ、安達康盛がわれを侮蔑の目で見たであろうな…)
 そう思いながらも、安寿尼の顔が目の前に浮かぶ。

(ああ、われの愛しき人…)
 時宗は、そっと、ひとりつぶやいていた…。
                            (つづく)


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