時宗は、煎じた薬草を飲んでいる。しかし、容態はいっこうに良くならない。 胃の腑が爛れ、熱く、くさい臭いが咽喉を通って、込み上げてくるようであった。 それに、胃の腑の中に、こぶし大の大きさの塊があるようにも感じられた。
その塊がときどき熱を帯び、大きくなろうとしていた。 その塊が大きくなろうとするたびに、胃の腑をよじらせているのではないかと、時宗には思われるのであった。 塊があばれようとするとき、いっそのこと、そいつを退治してしまいたいという、凶暴な思いに駆られることもあった。 小刀にて、己の腹をかっさばき、その塊を切り裂いて取り出せば、この痛みから解放されていくような気がした。
もっとも、そのようなことをすれば、命がなくなるとは思うが、命よりも、この痛みから逃れたいという欲望の方が強かった。 今日も、安寿尼が、煎じ薬を持って来た。 その薬を飲んだとき、吐いた。 吐いたものが、口に、咽喉に、胸元に、こぼれた。 安寿尼が、あわてて椀(わん)を取った。 そして、もう片方の手で、時宗の喉元を拭こうとしていた。 その時、時宗は、その女の手を払いのけた。 椀が跳び、青汁が跳び散っている。 安寿尼は、一瞬、顔をこわばらせたようであったが、何も言わなかった。 じっと耐えるように、青汁の後始末をしている。 女はしぶとかった。 寝床や寝巻きなどの後始末を終えると、ふきんを、時宗の顔のあたりに持ってきた。 ふきんを持つ、その指の白さが、時宗の気に障った。 安寿尼を顔面を見遣る。 ひどく落ち着き払っている。 その表情が、小憎らしかった。 時宗は、思わず、女の頬を張っていた。
無意識の、ほんの一瞬の出来事だった。
胃の腑にいた痛みが、頭にまでのぼってしまったのかと、一瞬、時宗は呆然となった。 ふと、我に返り、見ると、女が伏せて泣いていた。 時宗は、肩で息をしていた。 (われは、一体、何をしたというのだ?!) (それに、なぜ、この女は泣いているのだ?) 時宗には、己の為した所業がわからぬ。
(住職への嫉妬か?) 時宗は、そう、己につぶやく。 深く息を吸い込む。 やっと、おのれが、女に手をかけたことに気づいた。 (何ということをしてしまったことか!)
が、もう遅かった。 この手が、女の頬を打っていたのだ。
手を見遣る。 ふと、妻の祝子のことを思い出した。 あの頃、寄合衆(身内衆)にしろ、評定衆にしろ、思うようには動いてくれず、苛立った日々を送っていた。 いや、何よりも、己の統率力の無さがうらめしかった。 寄合衆の集まりの終ったあと、欝積が残った。その欝積を晴らす場が見つからず、つい、妻の祝子につらく当たった。 寝ている妻を起こし、酒の用意をさせた。 一杯や二杯の酒なら、まだよかった。 杯を重ねるごとに、寄合衆の一人ひとりの顔が浮かんでくる。その顔のいずれもが、己を見下しているように思われた。 人には見えかもしれぬが、己にははっきりと見えた、寄合衆の顔が。
その幻に向かって、 『おぬしら、われのことを何だと思っているのだ!』 と叫んでいた…。 そばに妻がいた。 「ほどぼどになされませ」 「何を!、われは、おまえの兄(=安達泰盛)とて、恐れてはおらぬぞ」 「そのようなことを申しておりませぬ」 「おぬしの顔、おぬしの仕草でわかるわ。おぬしは、われの悪口を、泰盛殿に言っておるであろうが…」 「そのような馬鹿なことを…。兄は兄、わたしはわたしにございます」 「何を、小しゃくな」 時宗は、妻の頬を撃っていた。
今、己の目の前で、肩を震わせ泣いている女を見ていると、妻の姿に重なった。 妻がいとおしく、また、そばの安寿尼がいとおしかった。
時宗は、心の裡で、ふたりの女に、あやまっていた。 (つづく)
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