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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第22回   (22)酒が心を狂わせていた

 時宗は、煎じた薬草を飲んでいる。しかし、容態はいっこうに良くならない。
胃の腑が爛れ、熱く、くさい臭いが咽喉を通って、込み上げてくるようであった。
 それに、胃の腑の中に、こぶし大の大きさの塊があるようにも感じられた。

 その塊がときどき熱を帯び、大きくなろうとしていた。
 その塊が大きくなろうとするたびに、胃の腑をよじらせているのではないかと、時宗には思われるのであった。

 塊があばれようとするとき、いっそのこと、そいつを退治してしまいたいという、凶暴な思いに駆られることもあった。
小刀にて、己の腹をかっさばき、その塊を切り裂いて取り出せば、この痛みから解放されていくような気がした。

 もっとも、そのようなことをすれば、命がなくなるとは思うが、命よりも、この痛みから逃れたいという欲望の方が強かった。

 
 今日も、安寿尼が、煎じ薬を持って来た。
 その薬を飲んだとき、吐いた。
吐いたものが、口に、咽喉に、胸元に、こぼれた。
 安寿尼が、あわてて椀(わん)を取った。
 そして、もう片方の手で、時宗の喉元を拭こうとしていた。

 その時、時宗は、その女の手を払いのけた。
 椀が跳び、青汁が跳び散っている。
安寿尼は、一瞬、顔をこわばらせたようであったが、何も言わなかった。
 じっと耐えるように、青汁の後始末をしている。

 女はしぶとかった。
 寝床や寝巻きなどの後始末を終えると、ふきんを、時宗の顔のあたりに持ってきた。

 ふきんを持つ、その指の白さが、時宗の気に障った。
 安寿尼を顔面を見遣る。
 ひどく落ち着き払っている。
 その表情が、小憎らしかった。
時宗は、思わず、女の頬を張っていた。

 無意識の、ほんの一瞬の出来事だった。

 胃の腑にいた痛みが、頭にまでのぼってしまったのかと、一瞬、時宗は呆然となった。

 ふと、我に返り、見ると、女が伏せて泣いていた。
時宗は、肩で息をしていた。
(われは、一体、何をしたというのだ?!)
(それに、なぜ、この女は泣いているのだ?)
 時宗には、己の為した所業がわからぬ。

(住職への嫉妬か?)
時宗は、そう、己につぶやく。
 
 深く息を吸い込む。
 やっと、おのれが、女に手をかけたことに気づいた。
(何ということをしてしまったことか!)

 が、もう遅かった。
 この手が、女の頬を打っていたのだ。

 手を見遣る。
 ふと、妻の祝子のことを思い出した。

 あの頃、寄合衆(身内衆)にしろ、評定衆にしろ、思うようには動いてくれず、苛立った日々を送っていた。
 いや、何よりも、己の統率力の無さがうらめしかった。
 
 寄合衆の集まりの終ったあと、欝積が残った。その欝積を晴らす場が見つからず、つい、妻の祝子につらく当たった。
 寝ている妻を起こし、酒の用意をさせた。

 一杯や二杯の酒なら、まだよかった。
 杯を重ねるごとに、寄合衆の一人ひとりの顔が浮かんでくる。その顔のいずれもが、己を見下しているように思われた。
人には見えかもしれぬが、己にははっきりと見えた、寄合衆の顔が。

 その幻に向かって、
『おぬしら、われのことを何だと思っているのだ!』
と叫んでいた…。

 そばに妻がいた。
「ほどぼどになされませ」
「何を!、われは、おまえの兄(=安達泰盛)とて、恐れてはおらぬぞ」
「そのようなことを申しておりませぬ」
「おぬしの顔、おぬしの仕草でわかるわ。おぬしは、われの悪口を、泰盛殿に言っておるであろうが…」
「そのような馬鹿なことを…。兄は兄、わたしはわたしにございます」
「何を、小しゃくな」
時宗は、妻の頬を撃っていた。

今、己の目の前で、肩を震わせ泣いている女を見ていると、妻の姿に重なった。
 妻がいとおしく、また、そばの安寿尼がいとおしかった。

 時宗は、心の裡で、ふたりの女に、あやまっていた。
                                  (つづく)


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