平頼綱は、こういうことになると手早い。 3日の後には、山荘に現われた。 「執権殿、わかり申しましたぞ、任那寺(にんなじ)の尼にござりました」 「そうか、あの尼僧にも、依(よ)る寺はあったのだな」 「しかし、これから先のお話は、ご内聞に…」 平頼綱の顔に、下卑た笑いが浮かんでいる。
時宗は、眉のあたりに皺を寄せた。 (こやつの、このようなところが、われはきらいなのだ) 時宗は、苦いものを飲み込むように押し黙り、目を伏せた。
「あの尼僧、前には武家に嫁いでいたこともありましたが、離縁をされて、寺に入り、今では任那寺の方丈(僧侶)と、深い仲のようで…」 時宗は、信じられぬというように、面を上げた。
任那寺の住職とは、以前に、一、二度、顔を合わせたことがある。 時宗は、目の前に、任那寺の住職の風貌を思い浮かべている。
でっぷりと太っている。丸い顔立ちであった。 しかし、目は優しかったように思う。
それにしても、時宗には、信じられぬ話であった。 「しかし、何故?」 「わかりませぬ。しかし、任那寺の方丈と安達泰盛様は、ごく親しい間柄にございます」 時宗は怒りを覚えた。
(泰盛も、そのような禅寺に通わずとも、わが師匠である無学祖元様の建長寺に行けばよいものを) 時宗の気持ちが、内に向かっている。
が、すぐに、平頼綱の言葉が耳に入って来る。 「あの女には気をつけなされませ。ともかく、後ろには、安達泰盛様が、付いておられますゆえ…」
(頼綱と泰盛は仲が良いような、悪いような…) と、時宗は苦笑している。 平頼綱は下がって行った。 時宗はひとりになった。
(安寿尼は、やはり執権としてのわれに近づいてきたのだ…) 時宗は暗い気持ちになっていた。 その後も、安寿尼は、山荘にやって来て、何やかやと身の回りの世話を続けていた。 いわば、あの夜の仕業さは、おくびにも出さず、むしろ、かいがいしかった。
そのかいがいしさが、時宗には、むしろ、憎くたらしく、時に、『任那寺の荘園も、あれでは狭かろうに』と戯れごとを、安寿尼に投げかけてやりたい気持ちになった。
その投げ言葉が、咽喉の奥まで出かかったとき、己の浅ましさが呪われた。
(わしは、禅寺の住職ではない、北条本家の惣領であり、幕府の執権なのだ) その誇りが、かろうじて、下卑た思いを口にするのを押し止めていた。 (つづく)
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