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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第20回   (20)女が迫って来る

「執権様は、これまで、ご多忙であらせられたのですから、それは、ご無理というものでございましょう…」
 安寿尼が、笑っている。
しかし、時宗は、『執権』という言葉に、思わず眉をひそめた。

(執権という言葉は好きではない、かといって、正寿丸という呼び名も。あえて、言えば、父が存命の頃、父から、太郎と呼ばれることだけが好きだった)
時宗は、己の思惑にとらわれていた。

 しかし、それでも、安寿尼に何事かを答えねばならぬと思い、口を開いていた。
「わしには、周りが見えぬ」

安寿尼は、時宗のひとりごとのような言葉に、きょとんとしたような顔をして、時宗の顔をぼんやりと見遣っていた…。

 夜半、かみなりの音がして、時宗は目覚めた。
 障子を見ると、外では稲妻が光っているのがわかる。

 胃の腑が痛い。腸がちぎれるようであった。
 身をよじりながらじっと耐えていると、額に脂汗がにじみ、腋にも汗を感じた。
 さらに耐えていると、背に、そして、胸のあたりにも汗を感じる。
 下胸の骨のあたりに、突き上げるような痛みを感じた時、思わず、『うーっ』と、うめき声を上げていた。

 気を失っていたのであろうか、時宗が目覚めたとき、目の上に女の顔があった。
 部屋がほの暗かった。

 薄闇の中で、やっと、時宗の目の焦点が合う。
 女が安寿尼であることに気づく。
「われは、そなたを呼んだのか?」
「いいえ、ひどく、お苦しみのようで、お声がしたものですから」

「そうであったか。夜中になると、痛む。情けないことだ」
 床に寝ているにもかかわらず、時宗はおのれの肩が、がっくりと下がるように感じた。

すると、女の顔が近づく。
 何か、よい匂いがした。
 女は両の手で、おのれの頬を包み込んでくれるのだ。
 その手が、暖かい。が、時宗は、うろたえている。

その時、腰にずきりとした痛みが走り、両足にもその痛みが伝わって、時宗は、思わず顔を顰めた。
女の手を払おうとするが、腰にしびれと鈍痛が交互に訪れ、手を動かすことができない。下肢も痺れていて、おのれの下肢ではないように感じられる。
 
 情けなさに、思わず目を瞑る。
 その目に、涙がにじんで来るのがわかった。

やや、腰や足の痛みや痺れが薄らいできた時、この女はこうも優しく、しかも、われのそばに近づこうとするのか、時宗は、不審な面持ちをしながら考えている。

心のうちで、何と、勤めに熱心なことよと、女を嘲笑うが、そのことで、不審な気持ちが払拭されたわけではない。

(この女、何が欲しいのか?)
と時宗は思う。

(この女は尼なのだ、この世に欲しいものは何もないはずだ。あるとすれば、禅における、空の境地か?)
そう思って、時宗は、かーっと目を開きながら、女の顔を見た。

 しかし、時宗は、そこに夜叉の顔を見た。
 思わず、目を背けたが、背筋がぞーっとして、身が固くなる。

 薄暗い闇の中である。
 目を背けたが、恐る恐るもう一度女の顔を覗く。
 が、やはり、そこに夜叉の顔があった。

 尼僧であれば、すでに、情欲を消しているはず。
 何故であろう?。

 われの情欲をかきたたせ、われから、何かを奪い取ろうというのであろうか?。

時宗は目をつむった。
と、女が掛け布団の中に手を入れてきた。
 女の手が、寝衣をかきわけている。しかし、時宗は反応しない。

「あーっ」
という、女のため息が耳に入った。
時宗は、闇の中で、不敵な笑いを漏らしていた。

 女が、部屋を立ち去っていく気配がした。

 あくる日、女は顔を出さなかった。
 時宗は、寄合衆の平頼綱を山荘に呼んだ。
 平頼綱の家は、長く、北条得宗家(=北条氏の本家)の執事を務めて来た。

 平頼綱の妻は、時宗の長男、貞時の乳母をしている。
 時宗にとって、気の置けぬ男であった。
 今は、安達泰盛より、何事かを頼みやすい相手である。
                          
「執権殿、いかがなされました?」
 優しい声色であった。
評定衆の者たちに聞けば、平頼綱の評判は決して良くはない。

 しかし、時宗は、この男を可愛がった。
 執権としてのわれを立てている。

 たぶん、平頼綱は、執権職という権力の座にひれ伏し、それを盾にして、他の御家人たちには、いばり散らしているのであろう。

 しかし、それがわかっても、平頼綱の従順さを買っていた。

 時宗は、平頼綱に、安寿尼の身元を調べるよう命じた。
                                  (つづく)


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