燈心の炎が揺れている。
寄合衆の会議ではない。 時宗の前にいるのは、安達泰盛(あだち・やすもり)と平頼綱(たいらの・よりつな)だけであった。 平頼綱は念仏の信仰者である。 それゆえに、平頼綱は、日蓮の言う、念仏無間地獄という言葉に怒っていた。
時宗は、平頼綱に、日蓮の処罰について相談したいことがあると呼び出されていたのだ。 時宗は、今、執権の座に座っている。
(禅天魔か) と、時宗は心の中で、つぶやいている。 以前にも、日蓮は、父上に、立正安国論を差し出し、国を治める者の心構えを上申していた。 それに、幕府の言いつけを守らぬとして、日蓮は、伊豆にも流されているのだが。
しかし、再び、鎌倉に戻り、われにも、文書を送りつけている。 日蓮に言わせると、所詮、禅は、己が、悟りを得るということしか考えておらぬ、天魔の教えに過ぎぬ、ということになる。 天魔の教えに従うと、国内は乱れ、異国からも攻められ、あげくの果てには、その信仰者も、無間地獄に堕ちると言う。
しかし、時宗は、日蓮の言う、法華経の教えのみが、釈迦牟尼仏の説かれた、唯一絶 対の教えであるということには、いささか、疑問の念を持っていた。
禅宗であろうと、浄土宗であろうと、その教えの目指すところは、悟りを得ることではないのか。 そして、悟りの境地に行くつく道は、一つではなく、多くあったとしても、よいではないかと、時宗には思われるのだ。 山には高き山があり、低き山がある。山は一つではない。連なって、ひとつの連峰が成り立つのではないのか。 高き山はひとつで、それのみが優れていると誰が言えるのか?。 空海の真言宗、最澄の天台宗といった、古くからの仏教の教えすら排斥しようとする日蓮に、いささか、傲慢さすら感じている。 日蓮は僧侶、われは武家、所詮、生きざまが違うのだ、と時宗は思う。 敵国調伏の祈りは、寺社の僧に任せておけばよい。その祈りは、確かに何らかの効き目はあるであろう。 しかし、それがすべてではない、武家には武家の勤めがある。 敵兵の矢が、法力によって、すべてわが身を避けて通り過ぎるものでもあるまい。ドラや太鼓の音、鉄砲の炸裂する音、それらに肝をつぶすようであれば、武士とは言えぬ。
敵兵が真近かに迫って来るまでじっと待ち、敵兵の顔が見えて来たとき、その眉間にめがけて、矢を放つ、それが武士というものであろう。 相手の矢が顔をかすめて来た時こそ、落ち着いて矢をつがい、放つことができねばならぬ。 その胆力は、確かに、禅で鍛えねばならぬが、戦(いくさ)の場では、目をつむり、座っているわけにはならぬ。矢を射(い)、剣を振るうしかないのだ。 日蓮が何と言おうと、われは、胆力で敵に向かい、敵を倒さねばならぬ。 そして、敵の刃にかかって、地獄に落ちようと、それこそ、武士の誉れではあるまいか。 その気概があればこそ、日蓮であろうと、他の高僧であろうと、われは、執権として、真正面から彼らを見据えることができるのではないだろうか。(つづく)
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