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作品名:異聞 北条時宗の恋 作者:沢村俊介

第19回   (19)安寿尼という女がやって来る

あくる日、安達泰盛がやって来た。

「執権殿、困りますな」
見れば、安達泰盛の額(ひたい)に、皺が寄っている。

(何のことだ?)
不審気に、時宗は尋ねた。

「執権殿は、昨日、早くあの世に逝きたいと、申されたような。そのような気弱なことを口にされてはなりませぬぞ」

 時宗は、苦笑している。
 あの付き添ってくれている若い女が、何か安達泰盛に告げ口をしたのであろうかと思った。

 しかし、あの若い女に、われは早く死にたい、などと言ったのだろうかと、記憶を辿
りながら、安達泰盛に答えた。
「そのようなことを申した覚えはないが」
「士気に関わりまするぞ」

「いやいや、気をつけよう」
時宗にすれば、お主らは、病の床にある者にも監視の目を働かせておるのかと、腹立たしかった。

 しかし、われの一言、ひと言が回りを騒がせるのだ、気をつけねばならぬと時宗は己を得心させようとしている。

 だが、時宗はそれから、その若い女に口をきかなくなった。


 すると、安達泰盛が気を効かせたのか、付添いの女が代わった。


 やはり尼僧で、前の女よりは、しかし、年増であった。
 しかし、今度は、女の身で仏門に入るなど、稀な女よと、時宗は、内心、感嘆しているのであった…。

 われなどは仏門に入ろうとしても回りが許してくれぬと思い、女がうらやましかった。

 年増ゆえに、多少は話やすい。
 聞けば、女は、安寿尼という。
 しかし、時宗も己を禅宗の徒と思っており、はじめは「安寿尼殿」と呼んだ。

 やや気の強そうな女に見えたが、よく気の効く女であった。
 しかし、しゃべり出すと、とめどがない。

 女に、時宗は、『必要なことだけを言えばよいのじゃ』と、できるだけやさしく諭すように言った。

 多少、気分が落ち着いた時、時宗は座禅堂に入った。すると、安寿尼もやってきて、座禅を組んだ。

 気が散った。

「気分がわるくなれば、そなたを呼ぶ。われのことはよいから、下がって休んでいなされ」
 そう言っても、安寿尼は聞かなかった。

 女にすれば、己に課せられた仕事をまっとうにしたいと思っているのであろう。

 そう思って、それからは女のことは捨て置いた。
 そして、時宗は、女の存在に慣れはじめた。

座禅を組んで、胃の腑の痛みが消えるわけではない。
 しかし、何も思い煩わず、お粥を食べられ、胃の腑に物があると感じられる日には、起き上がることもできた。
 そして、そういう時は、一時にせよ、禅に没頭することもできた。

安寿尼がそばにいることを忘れると、命あるまでに、あと、こうして、いかほどの勤めができようか、そんなことを考えていた。
 
 そして、やがて、己れが死んでいこうと、この世は、何事もなく動いていくのであろうと思うと、少し、さびしい気持ちがした。

 床に寝ていると、安寿尼が花を持ってきて、活けてくれている。
 時宗は、花でなく、安寿尼の横顔を見ていた。

(美しい)
と思った。

 しかし、己を振り返ってみると、確かに三十歳の坂は超えたものの、四十歳には、まだほど遠い。
 にもかかわらず、頭には白いものが目だってきた。それに、頬がこけ、剃りで髭を当たれば、皮膚から血が出ることもあった。顔の肌の張りも無くしているにちがいない。

「いかがなされましたか?」
安寿尼にまともに見られ、時宗は、うろたえている。

「いや、花をこうして、ゆっくりと味わうことなぞ、ついぞなかったように思えてな」
安寿尼はにっこりと笑っている。                                                     (つづく)


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