薄闇のなかで、赤ら顔の男が、椅子の上で身を反らすようにして言った。 「そなたとて、朝廷や公家たちの兵を使い、幕府の力を強めようとしているではないか。所詮、そなたとて、北条得宗家のみを守ろうとしておるだけのことではないのか」
時宗は丹田に力を込めて言い放つ。 「そのお言葉は、そのまま、そなたにお返し致そう。そなたとて、ハーンの家が大事。そして、モンゴル民族のみの繁栄を願っておられるのであろう」 その時、目の前の男が立ち上り、太い刀を振りかざしていた。 太いと思ったとき、時宗は、鞘を抜き払って、前に踊り出、刀を握る相手の手を払った。
「ちーっ」 相手の男の声がしたが、すでに時宗は、刀先を相手の咽喉仏に、突き出している。 が、相手は、素手で刃を握り、それを返そうとしている。相手の赤ら顔がさらに赤くなっている。それに、刀をにぎる手首が食いちぎられそうに痛い。
『負けるものか』 そう歯を食いしぼったとき、時宗は後ろに放り出されていた。
一瞬、尻もちをついたが、すぐに体勢を立て直す。 相手に大刀を取られていた。 時宗は脇差しを抜き放つ。
がしかし、相手は勝ち誇ったように、笑い、体を翻して、外に去っていく。 「待て!」 時宗は自尊心が傷つけられたような気がした。脇差しででも戦わねば腹の虫が治まらなかった。 障子を開け放った。 しかし、見ると、外は、広い野っ原であった。 しばらく、時宗は歩いていく。 広い、広すぎる、一体、ここはどこなのだ。 途方に暮れた。しかし、見渡すと、ようやく山が見えた。山が見えて、ほっとした。 しかし、山の感じが、伊豆の山とは違う。草と背の低い潅木のみで、高い木がない。 しかもその木々には、葉というものが生い茂っていなかった。 (ここはどこなのだ?) どこまでも広い野原あった。木もない、川もない。 頭がボーっとしてきて、己の体の感覚さえも、消えていく。 まるで、己の体が広い野原の中では、米粒のように小さなものに変っていったかのような錯覚を覚える。 そして、己が、広い空間の中に飲み込まれてしまっていくような感じにも、襲われていた。 (己の存在はどこにある?)
己を振り返ろうとするが、己の存在そのものが広い空間の中で、霧のように、どんどん、かき消されていく。 しかし、時宗は歩いた。 土埃(つちぼこり)がする。 土のにおいがした。ここは乾いているのか。 土埃の中を歩いた。しかし、行けども、行けども、山が見えない。川も見えなかった。 歩き疲れ、何も見えない中で、時宗は頭痛を感じた。
そのズキズキと痛む頭が、わずかながら働いた。 (何ということを、われは考えていたのだ。このような、ただっぴろい、草も生えていぬ原っぱで、兵たちに戦をさせようと考えていたとは…。それになんだ、この土地は。乾いている。われの住む国は湿りがあり、もっと肥えている。このような乾いた、ひからびた土地をわれは求めていたのか) ヒリヒリと咽喉元が痛み、口の中に痛みすら覚える乾きを感じた。
これが無間地獄か、そう思った時、時宗はわれに返った。 (つづく)
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