「時宗殿は、何もご存じない」 時宗は、安達泰盛の不敵な笑いに、怒りを覚えた。 義理の兄ではある。 しかし、今、評定(=会議)の場では、われは、最高の地位にある者なのだ。
「御家人どもには、もはや、土地がありませぬ…」 安達康盛は、憎々しげに、つぶやくように言った。
その言葉を取って、北条実時が物を言っている。 「安達殿、そのような下世話なことを、執権殿に申されるな。そのようなことは、引付衆あたりに任せておけばよろしい」
「いや、前の最明寺殿は、下々のことにも通じておられた」 時宗は、眉をひそめた。 安達泰盛から、父時頼の話が出るたびに、父と己とを比べられ、己が劣っていると言われているようで、頭が締め付けられるような気がするのだ。 時宗の沈黙に業を煮やしたかのように、安達康盛が続けた。 「御家人たちの中には、商家に土地を取られたものがおりまする。そのようなことですら始末がつけられぬようでは、幕府のご威光もそれまでと、御家人たちに見限られまするぞ」 時宗は、心を暗くした。 以前から、先祖伝来の土地を手放すほど、生活に困っている御家人たちがいることは、わずかながらも、耳にしたことはあった。 しかし、今は、そのような御家人たちが、われが思っている以上に多くなったのであろうか?。
前に、北条実時から、中小の御家人たちの窮状を聞いたとき、そのような、商家に土地を取られる不束な者は、御家人としての資格がないと、蔑んでいた。しかし、今は、何故、そのような不束な者が増えたのか疑念が沸き起こって来る。 時宗は、真実を知るのが、多少、怖いような気がする。
(執権たるもの、下々のことにも、通じていなくてはならぬのではないのか)
時宗は、北条実時に視線を移し、縋がるように、いや、勇気を奮い起こして尋ねる。 「実時殿、安達殿が、何を申されておるのか、われには、よくわかり申さぬ…。もう少し、詳しいことを、われにも教えてもらえぬか」
「執権殿のせいでは、ござりませぬ」 実時は神妙に答えている。
しかし、横合いから、安達康盛が、北条実時に食いつく。 「何を申される。執権殿のご威光で、御家人たちを救ってやらねばなりませんぞ」 「いや、そうかもしれぬが…。ただ、わしは、今、執権殿に申しておる」 実時の穏やかな物言いに、安達康盛が、やや引き下がった。
そして、北条実時は、安達康盛の顔に当てていた視線を、ゆっくりと動かし、姿勢を正しながら、時宗に向かっていた。 「執権殿、仕組みがわるいのでござる」
「その仕組みとは?」 時宗が問う。
「御家人たちの相続の仕組みは、長子相続でなく、分割相続でござる。ゆえに、先祖代々の土地が兄弟の皆々に、細切れに分けられまする。さすれば、代を重ねるごとに、その相続の土地は少なくなってまいります。それで、御家人たちも暮らしに困り、僅かな土地を質(しち)に入れて、商家より銭を借りていかねばならぬ羽目になり申した。かといって、新たな土地を開墾し、耕すこともなければ、刈り取る米も少なくて、借財は返せず、結局は、質に入れた土地を商家に取られてしまうのでござります」
「分割相続の仕組みは、変えられぬのか?」 時宗は、気弱げに聞いた。
「御家人たちに、子どもは産むな、分家をさせるな、とは申されませぬ。されば、国内においては、朝廷、公家衆、寺社の土地を取り上げるか、または、国外に土地を求めるしかありませぬ…」
「馬鹿なことを申されるな」 そばから、安達泰盛が吐き捨てるように言った。
さらに、安達泰盛は、北条実時にかみついている。 「もはや、土地はござらぬ。がしかし、かといって、海を渡り、高麗などに出かけて戦を仕掛けるなど、愚の骨頂。そのようなこと、誰も付いては来ませぬぞ」 時宗は、額に皺を寄せていた。 このような大切な事柄を、われ抜きで、このふたりは話をしていたのか、と思った。
(われは、所詮、将軍と同じだ。ただの飾り物に過ぎぬ…) 時宗は、面を伏せた。 (つづく)
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