「時宗、後は頼むぞ」 時宗は、父の時頼の枕許に居た。 父は、胃の腑の痛みを訴え、今は腰も立たず、床に伏せっている。 時には身をよじり、血を吐いた。 時宗は、己が祈祷師でないことを呪っている。 そして、父が逝き、自分一人が残されることを恐れていた。
(まだ、われは13歳じゃ。父上がいなければ、きっと周りの人間たちに、つぶされてしまうにちがいない)
時宗は、目に涙を浮かべていた。 すがるように、父に語りかけている。 「父上、われひとりを残して往かれまするな」
「何の、おぬしがおればよい。大丈夫じゃ」 父が気弱げに笑っている。
かつては、仁王様のように怖かった父の顔がなつかしく思い起こされる。 しかし、今、病の床にある父に、昔のような怖さも、精気もなかった。 さびしかった。
時宗は、不安を口にする。 「蒙古は攻めて参りましょうか?」 「蒙古人とて我らと同じことよ。所詮、人間は欲のかたまりじゃ。蒙古(元)の皇帝、フビライ・ハーンとて、家来どもに、土地や銭を分けてやらねばならぬ。とすれば、まず、南宋や高麗の国を手に入れ、今度は、それら南宋や高麗の兵を引き連れて、この日本に攻めて来ようぞ」
「父上、兵士や民たちのことを考えれば、戦は避けるべきではありませぬか?」 「時宗、気弱なことを申すでない。蒙古が征服したあとの国々の様を見よ。彼らは、一にモンゴル人、二に色目人(西域人)、三に漢人(旧金人、高麗人)、四に南人(旧宋人)と、人間を位(くらい)づけするのじゃ。戦わざれば、われら日本人は、五の位置、六の位置に位づけをされてしまうぞ。それでは武士たちも納得できまい。それに、賦役のことは耐えられても、彼の者たちの信仰の対象はラマ教ぞ。我が国の神社仏閣が取り壊され、異教徒どもの寺院が建てば何とする。異国の教えを押しつけられて、民も苦しもうぞ。例え、破れるにしろ、戦いをいどまねば、それこそ、人としての扱いを受けられまい」 「しかし、父上、御家人たちをして、戦にいどませる名分がありませぬ」 時宗は、父を励ますように、また、己が己自身の苦しみから逃れたいがために、父の手をしっかりとにぎりしめる。
「名分など要らぬ。戦わずして蒙古の奴卑となるか、武門としての誇りを貫くかじゃ。さはいえ、戦に駆り立てようと、我らには、御家人たちに分けてやる土地がない。ならば、銭しかあるまい」 父の時頼の顔は、しかし、苦しそうであった。
「その銭は、いかようにして」 時宗は、身を乗り出している。
「鉱山じゃ。今は奥羽の砂金と対馬の銀じゃが、まだ、この国には、金山や銀山があるはずじゃ」 「いかにして、それを見つければよいのですか」
「山歩きをしておる修験者どもに山を捜(さが)させよ。そして、精錬を司る者は、博多商人を伝て(つて)として、南宋や高麗より呼び寄せるのじゃ」 父の目が細く閉じられていく。 「父上!」 時宗は、大きな叫び声を上げた。
時宗は、わが声に驚いて、目覚めた。 腋の下に、びっしょりと寝汗をかいている。
(夢であったか。しかし、父上は何故に鉱山などのことを口にされたのであろうか?) 身じろぎをした。 そのとき、胃の腑に痛みを感じた。 きりきりと痛む。 何のこれしきと思うが、眉間に皺が寄っているのがわかる。
(何故に) そうは思うが、痛みの原因がわからなかった。 しかし、近頃、昼と真夜中に、みぞおちのあたりから痛みが襲う。そして、胃の腑がよじれるようであった。 首切りなら、もっと痛いはず、それに腹にささった矢じりを抜くとすれば、もっと痛いはず。ならば、これしきの痛みなど何ともないはずだ。 昼間の寄り合いの席においても、胃の腑に痛みが走る。しかし、そばの者にも悟られぬよう、時宗は、じっと我慢をしていた。 今は、難局の時、われが弱みを見せてはならぬ、そう何度も呟きながら、丹田(たんでん)に力を込め、座禅を組んでいる時のように、背筋をすっと伸ばした姿勢を保っていた…。(つづく)
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