曲がった山道が途切れるその先、墓標の群れを目指して家々の隙間を抜けていく。 しばらくの沈黙があった。 エンジンが回転数を変え、車輪は左右に動き、ステレオはノイズが響くラジオの声を模写していく。少し戸惑った煙草の紫が、ふわり、太陽の輝きを瞬間捉え、開け放たれた窓から抜け出していった。 久しぶりに聴く意味のほどけた声には、これから二人が行なう儀式のありうるべき姿を暗示しているように思えた。 しかし、アンプは電波をきちんとここに届けてはくれない。
すっかぃ―初夏のぉl――きょ…の―――ぃ高気温は弐拾九℃まで上がぃぃちゅぅぅピ――次のリクエ//)・・・バンギュ…「video kill the radio star-------
そう、ここはラジオもまともに聞けない町だった。
「二年間」運転席と人影 「完璧に死に続けているなんて想像できるか?」彼は顔を少し傾ける。 小杉の赤い瞳は「象徴」のだった。腕は道の角度に合わせてステアリングを操る。彼は傾げたまま、こちらを覗く。 通りで遊んでいる少年たちの歓声と春草の甘い匂いが窓から零れ落ちてくる。 前を向き直し小杉が笑う。 「信じられない。二年もたったなんて。」それから沈黙。 昨日の祝宴の情景が薄く襞にへばり付きながら、彼もまたこれからの行為を思っていたに違いない。祝杯の液体を飲み続けたこの頭には、一度濡れた新聞紙ににじむ黒インクよろしく無数の干からびた穴だらけだった。 それにしても古い友人の結婚式であった。 やがて、ぼんやり、風景が流れていく。見慣れていた看板や山の色合いや微光が揺れ放つ色彩の建物は、でたらめに霞んで見えた。気だるさは体の空洞からくるのか季節の密からくるのか、やがて曖昧になっていく。 アンプの振動が声から曲に変る頃に、車輪は住宅街の最後にある貯水池を越えて森の中に入っていく。ラジオが死に絶える前に「ラジオスターの悲劇」を軽く歌った。旋律が色のない響きになると小杉はテープに切り替え、煙草は灰皿に押し付けられた。 涼やかな森の空気が肌を捉える。歌声の余韻がこの乾いた穴に染込んでいく。 「原因は、なんて説明するんだろうな。病死? それとも事故死?」 自分の声は自分自身から遠ざかっていき、誰かほかの人の声に思える。 彼はしばらく考えこむ。 丁寧に言葉を選ぶ小杉のいつもの癖があった。 それからまた、沈黙があった。その隙間をテープから流れるスピーチの曲が埋めていく。 「さあ…あまり家の人も言わないから分からないな。とにかく変わったやつだったから、どんな理由で死んでもおかしくない。きっと老衰だろ」 僕は何度か太腿をこする。 「なんだそれ」「誰であろうと様々な理由で死ぬじゃないか」「それにまだ二十になったばかりだったし…」 いつも鈍い反応の一重瞼が少し頷き、彼は路の姿を追い続ける。 続けて僕は、「ふられて落ち込んでいる姿は可笑しかったな。覚えているか?」 フカタニの仕草を思い出しながら言い、小杉の表情を覗く。 固まった価値体系とは違った事柄を拒絶する老人のよう、彼は首を振る。 「たしか『ふられたのは脳味噌がぐちゃぐちゃで、そいつはバタフライフィッシュが血液を吸って、そこから銀竜草が生えだしたからだ』みたいなことを五十回ぐらい聞かされたときだろ。いったい何のことなんだ。強がっていたのか誤魔化していたのか…他にもっと言うことがある筈なのになあ。そのあと鼻水をたらしながら泣いていたし」 小杉はそのときの様子のまねをする。 フカタニと二人で夜が明けるまで公園で話しこんでいたことを想いださずにはいられないだろう。友人や音楽や女の子たちや将来の話をしていたときに、ふと、彼は語った。 ――もし世の中の大半の人が色盲だったらその色彩感覚が当たり前になるだろ、うまく言えないけど、つまりそういう前提条件が無くなれば人と人とが理解し合えるのはとても難しいってことじゃないのか―― 「その人、葬式には来ていた」 「来ていたらしい。見なかったけれど」 貯水池を越えると、辺りには不法投棄された冷蔵庫や棚や、その他ありとあらゆる人工物が、窓とミラーと四つの眼球に映る。どのような経緯を経てここに辿り着いたのか想像もできないものばかりだった。けれども、それらは必然的宿命性という想念を漂泊させていた。 あの朽ち果てた納屋を過ぎると寺院の瓦屋根が見えてくるだろう。 「あいつは生まれて死ぬまで一回もやってなかったんじゃないか」 「そういうことは絶対言わなかったから分からないけど、たぶんそうだろ」 私たちは少しだけ複雑な気分になり、意味深い声で何かを確認し合う。そして一度もセックスをせずに死んだ男の顔を二人は思い浮かべたに違いない。
棺に入り鼻に紙を詰め込まれた肌は透きとおり、そこに存在するものと、自分の皮膚とどのような隔たりが存在するのか見分けられなかった。 「誰かが自殺だと言っていたけれど……最後に会ったのはいつだった。」 「半年ほど前じゃないかな。たしかに、何か少し変わったように見えた。なんていえばいいのかな。影が重なっているようだった」 やがて車輪は入り口の階段の横にハンドブレーキで固定される。 小杉がダッシュボートからパイプを取り出しそれに火を点ける。果実みたく鼻腔を刺激する煙が昇った。彼は何度か咳き込んだ後、パイプを差し出す。それは我々の間を何度か往復し、肺は煙を溜め込み吐き出すと、二人の「体が溶けてくる」と呻きになる。シートに沈み込んでいく。しばらく傾斜する太陽を浴びる。 「さてさて」彼がつぶやく。 「そろそろ我等が童貞君とのご対面の時間だ」 私たちを祝福する蝉の声がそこにはあった。
車を降り人気のない寺院の階段を昇って行くと、境内にはおもちゃのような小さい鐘があり、小杉はそれを鳴らす。余韻が多くの石の中に吸い込まれていく。 僕はバケツに水を入れ、小杉は数本の線香とスポンジを取る。石碑の間を縫って歩いたあとに、一つの墓にたどり着くと、そこからは町を見下ろすことができた。川が金色に反射して遠くの山のハウス畑のビニールが風で揺れていた。 隅にある蟻塚の周りの黒い点たちが黄色を背景にせわしなく動き、橋を渡る車の群れが無数の影を伸ばす。 しばらく無言で深谷と刻まれた光沢のある花崗岩に水をかけ、スポンジで擦り、萎れかけた花の水を変える。 線香の赤い光たち。手を重ねて、小杉は赤い目を閉じる。 蟻と遠くの長くなった影たちが絶え間なく動き、世界の営みは続く。 乾いた風が吹き、煙は途切れ、小杉が祈る姿を横で見ながら、夏の昼下がり兄を連れて電車に乗っていたことを思い出した。どうやら太陽は別の世界から私たちを照らし出しているようだ。私たちが通った学校のグランドではサッカーの試合が進行していた。祈りを終えた彼はしばらくそこに立ち、陽炎に包まれ揺れている町を眺めていた。 「なあ、ところで…」「バタフライフィッシュとか銀竜草とかは実際に存在するものなのだろうか」続けざま小杉は水滴が反射する火成岩に―本当のところ、そいつは一体どこにあるんだーと語りかける。僕は肩を窄め、両手を少し上げて首を傾げる。「そろそろ行こうか」そうしてそこをあとにした。 銀のバケツと緑のスポンジを元あった場所に戻し、傍の水飲み場で何杯かの水を木柄杓で掬い上げ、いがらっぽい喉を潤した。 深い地下水脈から吸い上げられた水はとても冷たく、水素と酸素が結合している感触を舌先で確認できるかのようだ。小杉は蛙の口から湧き出る水を掌で受け止めて顔と頭を洗い流した。そのざらついた石の水槽で僕も頬を濡らし、しばらく、ふざける二人が水を掛け合う嬌声と玉砂利が弾け飛ぶ音が寺院に反響していた。歩きながら小杉は短い髪の水を両手で強く掃い落とし、それは無数の光の屈折となった。彼はもう一度その鐘を撞いた。 「今日の調子はどうだい」小杉は少し湿った煙草に火を点ける。「すごくメロウな気分だ。フカタニにも分けてあげたいね」僕を見つめる皮肉な表情。「お前はいつも的の外したことを言う。フカタニはうんざりするくらい最高に鎮静的なんだよ」風に漂う蝉声と共に彼の哄笑は、遠い時の隙間から聞こえてくるようだった。 寺院を降りながら小杉もフカタニと三人で山に入って行った事を思い出していたに違いない。階段の隣には登山道があり私たちは昔、その山に入り込んだ。彼は鼻歌を歌いながら踊るように階段を降りていった。僕は影たちの姿を見る。登山道に向かってアスファルトを昇ってくる若い三人の幻影は、失われてしまった、多くのものを刻印していた。いつの間にか鼻歌は口笛になっていた。そしてまた、私たちがこの山に入り込んだ時にも歌を謡っていたことを思い出した。けれども、題名も旋律も浮かんでは来なかった。影たちが登山道に入って行こうとしていたとき、僕と小杉は階段を降りきり、私たちはその影たちと重なり合って、やがて、別々の方向に向かっていった。一方は山を降り、彼らは山を登る。ぼくはぼくの鼓動に耳を澄ます。それは遠くから鳴り響く太鼓に尾要だった。そして振り返り山を見上げる。墓標たちは西日を浴び輝きながらまだそこに立っていた。
|
|