人里離れた山奥に、貴人を葬ったといわれる墓地があった。その貴人とは、天皇の血を引く者だと言われていて、源平の合戦の時に戦乱を逃れて、この地にたどり着いたらしい。安徳天皇は、平家と共に、壇ノ浦の海に沈んだ。しかし、安徳天皇は生きていたという伝説がある。この墓に葬られているのも、安徳天皇の子孫という言い伝えが、近くの村には残っていた。そして、その墓を守るのが、平知盛の子孫という言い伝えがある大森家である。現在の大森家の当主は隆正だった。隆正は、月に一度の墓参りと、墓の掃除を欠かさない。 天皇は、かつては、日本の中心で、第二次世界大戦の後も象徴として日本国民の中心に居たが、三十年前に起こった革命で、今では一般市民と同じだった。今、天皇が、どこで何をしているのか、日本国民は、誰も知らない。
今日は、墓の掃除に行く日である。隆正は、箒や、チリトリ、ゴミを入れるための袋を持って家を出る。墓の掃除は、いつも一人でするものと決まっていた。しかし、隆正も、すでに六十歳を越え、そろそろ、息子の正行に、この墓の掃除の役目を譲ってもいいかと考えている。細い山道を十五分ほどかけて登ると、墓地がある。あまり広い空間ではないが、二つの墓が並んでいて、大きな方が、夫で、小さな方が妻である。妻の方は、村の女性である。この村に流れて来た貴人の世話をし、その後、夫婦になったということだった。 隆正が、墓の周囲の掃除をしていると、珍しいことに、男が一人、この墓地に現れた。小柄な、中年の男である。 「こんにちは」 と、隆正は声をかけた。 「こんにちは」 と、男は、挨拶を返す。 男は、墓の前に立ち、墓石を見つめる。隆正は掃除の手を止めて、その男の傍らに近づいた。 「この辺りの人ではありませんね。どうして、ここに」 「はい。ちょっと、話を聞いて」 「失礼ですが、どういうお方ですか。わざわざ、この墓地に来るとは」 「ここには、平安時代の安徳天皇の縁者が葬られていると聞きましたが、本当ですか」 「はい。村では、代々、そう伝えられています。それで、私の祖先は、その安徳天皇をお守りした平知盛です。今は、大森と名乗っています」 「そうですか。それは、感謝します」 男の、その言葉に、隆正は引っ掛かった。 感謝するとは、どういう事か。 「なぜ、あなたが、私に感謝を」 「私も、天皇を支える人間の一人です。それで、ここの話を聞いて、足を運んでみました」 「そうですか。今も、天皇陛下の傍には、あなたのような人がいるのですか」 「全国に、有志が居ます。天皇陛下を慕う日本人は、まだまだ、多いということです」 墓の掃除を終えた隆正は、男を自分の家に案内した。男の名前は、藤原という。祖先は藤原摂関家につながるということだった。 隆正は、藤原に食事とお酒を振る舞った。藤原の話によれば、最後の天皇だった兼仁陛下は、革命後に葛城という姓を名乗り、一般市民となったが、その最後の天皇も五年前に亡くなり、今では、その嫡男だった興仁が、後を継いでいるらしい。興仁の生活は、藤原のような有志が集まり、支えているそうである。 「大森さんも、どうですか。私たち、有志に参加しませんか」 藤原は言ったが、隆正は返事を保留する。 自分には、墓を守るという仕事がある。今更、東京に出る気も無い。
それから、数年後、東京で反革命の暴動が起こった。その反革命勢力は、興仁を再び天皇の位に就けることを、主張の一つにしていた。 しかし、その暴動は革命政府によって、あっさりと鎮圧される。 処刑された首謀者の中に、藤原の名前もあった。 彼らの担ぎあげた興仁は、政府の管理下に置かれているそうである。 隆正は、自分には関係の無いことだと思ったが、複雑な気持ちがあった。自分は、代々、墓を守って行くだけである。まさか、ここにまで革命政府が手を伸ばしてくることはないだろうが、もし、この墓が廃されるようなことがあれば、自分は戦うだろうか。戦わなければならないと思っている。それが、自分の役目だろう。
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