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作品名:山登り 作者:三日月

最終回   1
 妻の洋子との離婚が成立した大下孝雄は、家を洋子に渡すことに決め、新しく住む場所を探すことにした。二人の子供は洋子が育てることになり、孝雄は慰謝料とともに、養育費も払わなければならない。できるだけ、安いアパートを探す。三日間で町の中にある不動産屋を歩き回り、家賃は月に二万円という部屋を見つけた。木造の古いアパートである。部屋は四畳半が二つ。一応、風呂もトイレも付いている。孝雄はそこに住むことに決めた。さっそく、引っ越しをする。自分の荷物を家から運び出し、アパートの部屋に移す。アパートの部屋は荷物で一杯になった。少し、整理をしなければならない。仕事の合間に片付けをしていると、一週間近くもかかってしまった。どうしても捨てなければならない物も多かった。狭い部屋の中では、収納できない物も多くある。
 一人暮らしには経験があった。大学生活の四年間と、大学を卒業してから洋子と結婚をするまでの五年間、孝雄は一人暮らしをしていた。掃除、炊事、洗濯、どれも一人で十分にやって行ける。しかし、孝雄は完璧に家事をこなす方ではなく、どれも、適当に、いい加減で満足した。大抵の男は、そういうものかもしれない。朝食は、食パン一枚に、インスタントのコーヒーで済ます。昼食は、会社の近くで外食。夕食は、外食、または弁当を買って帰って部屋で食べる。自炊をするのは、休日の土曜日、日曜日くらいである。料理は得意では無いが、嫌いでもない。時間の余裕があれば作ってもいいのだが、さすがに、平日は、その時間が無い。洗濯と掃除も、休日にまとめてやった。休日は家事の日で、他に出かけることはあまりない。遊びに出かければお金もいるので、養育費と慰謝料を払っている身分では少し苦しい。
 洗濯機はまだ買っていないので、洗濯は休日に近くのコインランドリーに行くことにしていた。一週間分の洗濯物を大きな紙袋やナイロン袋に詰めて、コインランドリーまで歩いて行く。洗濯機を回しながら椅子に腰をかけて洗濯が終わるのを待つ。そこで、時々、顔を合わせる女性がいた。若くて美人。男なら、誰もが目をひかれるような女性だった。孝雄も例外ではない。まだ、離婚をして間がないが、孝雄は、その女性のことを好きになってしまった。何とか、話しかけたいと思ったが、美人を前にすると緊張をしてしまう。しかし、もはや、中学生、高校生といった子供ではない。これまでに何人かの女性とお付き合いをしてきた経験もあるので、話しかけるくらいは、わけもないことだった。
「こんにちは。よく、お会いしますよね」
「はい。そうですね」
「僕は、大下孝雄といいます。この先のアパートに住んでいます」
「そうですか」
「お名前を、教えてもらえませんか」
「金村美雪といいます」
「ここで洗濯をしているということは、一人暮らしですか」
「はい」
「何かと大変ですよね。一人暮らしは」
「そうですね」
 何気ない世間話から始めて、段々と親しくなって行く。何回か会っている内に、彼女の方からも声をかけてくれるようになった。互いの身の上話をする。彼女の経歴や現状も、次第にわかってきた。彼女は、北海道札幌の出身で、現在二十四歳である。この町に来た理由は当時、付き合っていた恋人と駆け落ちをしたためだった。駆け落ちをしたのは、彼女が二十歳の時の話である。恋人だった男は彼女よりも五つ年上で、当時は二十五歳。駆け落ちをした後、この町で結婚をした。しかし、一年後、彼は新しい女と共に、彼女の前から姿を消した。それから一ヶ月後、ふいに離婚届を持って戻って来た彼と話し合い、離婚をすることにした。他の女に気持ちの行っている男と一緒に暮らすつもりは無い。彼女は、もう彼には未練は無かった。彼と別れたからといって、北海道の親のところに帰るわけにも行かず、そのまま、惰性でこの町に住み続けているということだった。
「お互いに、バツ一ということですね」
 孝雄は言う。
「私には、子供はいませんけど」
「子供は、居れば居たで、かわいいものですよ」
「面会は、出来るのですか」
「はい。特に、制限はされていませんから、会おうと思えば、いつでも会うことができますよ」
「それは、いいですね。私も、子供は欲しいと思っていますが、いつになることか」
 美雪は、町の工場で事務の仕事をしていた。やはり、休みは、土曜日と日曜日ということである。彼女は、趣味で、山登りをしているということだった。この町の周辺にある山を登り歩いているらしい。山といっても、どこも標高は五百メートル以下の、低い山ばかりである。
「一人で、登っているのですか」
「はい。大抵、一人です」
「健康的で、いいですね」
「上まで登ると、気持ちがいいですよ。一緒に、どうですか」
「僕が一緒でも、いいですか」
「いいですよ。あなたが、よければ」
 よく晴れた土曜日の午後、孝雄は、美雪と山登りに出かけることにした。目的の山は町の北側にある龍神山である。標高は二百三十メートル。山頂部には、戦国時代の山城の跡がある。美雪と一緒に、山の麓の登山口まで、自転車で行く。「龍神山城跡」という看板が入口に建てられていた。登山道も整備されていて、美雪はこれまでに何度も登ったことがあるということだった。山頂までは、一時間弱。山道は狭く、かなり急だった。運動不足の孝雄はすぐに息が切れる。途中で何度か休憩をしてもらった。美雪は、さすがに山登りには慣れていて、ほとんど疲れる様子が無い。彼女は水筒に冷たいお茶を入れて持って来ていた。孝雄は、それを分けてもらう。次第に標高が高くなると、何だか気持ちがいい。高い所に居るというだけで気分が良いというのは、誰もが感じることだろう。それが、山に登る理由の一つだと思う。山頂に続く尾根に到着すると、山城の跡である平地が続いていた。山頂部分の平地は本丸跡である。そこには「龍神山城本丸跡」という石碑が建っていた。孝雄は、歴史に関する知識は少しある。この龍神山城は戦国時代、この周辺を支配していた酒井氏の居城である。酒井氏は、毛利氏の家臣だったが、羽柴秀吉の攻撃によって落城し、その後、廃城になった。孝雄は、実際に、ここに来るのは初めてである。戦国時代の城跡を、興味深く眺めた。美雪も、この城跡のことは、よく知っていた。
「ここが本丸。それから、向こうが二の丸、その向こうが三の丸で……」
 と、城も構造の説明をしてくれる。
「この下に井戸があって、その先には馬場もあったそうよ。石垣も、少し残っているところがあるの」
「詳しいですね。勉強でもしたのですか」
「好きですから。山のことは、色々と、勉強しています。見えないものも、知識があれば結構、楽しめます」
「そうですよね。同感です」
 しばらく、山頂で過ごし、下におりることにした。町の風景が、遠くまでよく見える。爽快な気分は、なかなか良いものである。
 それから半年が経った頃、元妻の洋子が孝雄の部屋に来た。離婚をしてから、こうやって二人だけで会うのは初めてのことだった。
「どうした。珍しいじゃないか」
「うん。ちょっと、話があって」
 洋子は、真面目な顔をしている。
「実は、再婚をしようと思うの」
 洋子は言った。孝雄は、少し、驚く。
「そうなのか」
 と、孝雄は言った。それ以上、何を言ったらいいのか、わからない。
「それで、お願いがあるの」
 と、洋子は続ける。
「子供たちには、もう会わないようにしてもらえないかな」
「どういうこと」
「新しく父親になる人に、早く慣れて欲しいの。子供たちを、混乱させたくない」
「それは、君の勝手じゃないか。あの子たちの父親は、僕だぞ」
「それは、わかっているわよ。だから、こうやってお願いをしているの」
「それは、納得できないよ。了承できない」
 その日、洋子との話は物別れに終わった。突然、子供に会うなと言われても、納得の出来ることではない。子供は、五歳の優喜と、四歳の春香の二人だった。確かに、洋子の言う通り、もし、これから自分が子供たちに会わなければ、彼らは新しい父親のことを本当の父親として成長をすることが出来るかもしれない。自分のことと、新しい父親との間で、子供たちが混乱を起こすという洋子の考えもわかる。しかし、今、ここで子供たちと縁を切るという選択は、自分には出来そうも無い。子供たちにとって、自分と縁を切るという選択が幸せかどうかもわからない。孝雄は、美雪に相談をしてみようかと思ったが、他人に相談をすることでもないような気がする。
 美雪との付き合いも続いている。しかし、いまだ、友達というところで、まだ、恋人というわけではない。美雪が自分のことをどう思っているのか、そのうちに確かめてみなければいけないとは思っている。近いうちに、交際を申し込むつもりではある。しかし、子供たちのことを考えると、そう簡単に美雪と付き合うということも出来ないようだった。
「前の旦那とは、今でも会うことはあるの」
 孝雄は美雪に聞いてみる。
「ううん。もう、会うことはないし、会うつもりもない」
「もし、君に子供が居たとすればどうする。やっぱり、元旦那にも、子供は会わせないつもりかな」
「それは、どうだろう。わからないけど、気分的には会わせたくないわね」
「それは、どうして」
「旦那と別れたということは、相手のことが嫌いになったというわけだから。嫌いになった相手に、子供は会わせたくないわよ」
「じゃあ、子供が、父親に会いたいと言ったら」
「それは、やはり、会わせてあげないといけないでしょうね。やっぱり、父親だから、私の都合だけで、どうこうというのは、かわいそうだと思う」
 子供の気持ち。自分の子供たちは、自分のことをどう思っているのだろうと思う。彼らはまだ幼い。自分で判断をするには、まだ、早すぎるだろうとも思う。もっと年齢を重ね、大人になれば、父親のことを改めて考えることも出来るだろう。長い時間はかかるだろうがそれまで待つのがベストかもしれないと思う。
 孝雄は、洋子に電話をした。しばらくは子供に会わないことにすると洋子に話す。しかし条件を一つだけ付けた。それは、将来、子供が自分に会いたいといった場合は、洋子はそれを妨げないこと。洋子は、渋々ながら、その条件を飲んだ。
「もうこれで、当分、君とも子供たちとも会うことはないだろうな」
 孝雄は言った。
「そうね。私は再婚するけど、あなたの方も頑張ってね」
 洋子はそう言って、電話を切る。頑張るというのはどういうことか。孝雄は、美雪に自分の気持ちを話してみることにした。美雪は、どう返事をしてくれるのか見当はつかない。とりあえず、新しい第一歩である。後悔をしないようにしなければならない。



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