南北に長く延びる岬の先に、木造の小さな家があった。その家の傍らに、大きな白い灯台があるが、すでにかなり古ぼけていて、もう活動はしていない。その岬の家で、一人の男が生活をしていた。男は初老で、頭髪はすでに白くなっている。しかし、体は、まだまだ丈夫で行動に不自由は無い。当然の事だが、その岬に他に家は無い。男がどうやって生活をしているのかといえば、必要な物は、週に一度、船で届けてもらっていた。今日は、その船が岬に来る日である。男は家を出て、岬の先端で船が来るのを待っていた。船は、いつも東の港から来る。時間は、正午と決まっていた。 男は、小さな船着場の上に立っている。小船が、エンジンの音をさせながら、船着場に近づいて来る。 「お待たせしました。神崎さん」 「いいえ。時間通りです」 船が到着すると、船長は荷物を降ろす。神崎は、その荷物を手にして、中身を見る。ほとんどが食糧である。やはり、このような辺鄙なところにいると、食べる物が重要だった。 「足りない物は、ありませんか」 「はい。十分です。いつも、ありがとうございます」 神崎は、用意していたメモを、船長に渡す。 「来週も、また、お願いします」 「わかりました。では、また、来週に」 船長は、メモを上着のポケットの中にしまう。とりあえず、必要なものは、そのメモに書いているので、また、船長が持って来てくれることになる。代金は、神崎の実家に居る息子が払ってくれる。そのお金は、神崎が息子に生前贈与したものだった。 船が帰って行くのを見送ると、神崎は荷物を背負い、岬の上の家に戻った。中身を床の上に広げると、一つずつ、棚の中に整理する。これで、また、一週間は生活が出来る。それよりも先のことは、あまり考えていない。 日課は、岬の周辺の海岸の散歩である。昨日、一昨日と、雨が降り、風も強かったので神崎は三日ぶりの散歩に出た。岬に沿って、狭い幅の砂浜を歩く。北に向かって少し行ったところにある岩場で、神崎は漂着している小船を見つけた。ただ、流されて来たものなのか、それとも、誰かが乗って来たものなのか、神崎は小船を調べる。形跡は何も残っていないようだった。雨で、きれいに流されたのかもしれない。エンジンは付いていないので、ここまで人が来たのならば、手で漕いだことになる。オールが、どこかにないだろうかと思った。岩場の周囲を歩く。すると、砂浜を少し離れたところに、二本のプラスチック製の長いオールが放置されていた。やはり、誰かが、この船でこの岬に漂着したらしい。誰かがこの岬に来たとすれば、その誰かは、今、岬の林の中に居るに違いない。偶然にここに来たのか、それとも、ここを目指して、船で来たのか。どちらにしろ、この岬に人が居れば、自分の家にそのうちたどり着くだろうと、神崎は思う。 家に戻った神崎は、趣味で使っている散弾銃を手にした。岬の林に来る鳥を撃つために使っている。これで人を撃とうというつもりは無いが、脅しくらいにはなるだろう。 神崎が思っていた通り、家に人が現れたのは夕暮れだった。若い男が、家の前に立っている。神崎は、窓からその様子を見ると、玄関から外に出た。男は、神崎を見て驚く。 「まあ、入りなさい」 神崎は男に言った。男は、怯えているようである。年齢は、二十歳前後といったところだろう。まだ、少年っぽさを残している青年といったところだろうか。これならば、散弾銃を持ちだす必要もないだろうと思う。神崎が促すと、青年は、家の中に入って来た。青年の服装は、長袖のシャツに、ジーパンである。雨の中、この岬に来たのならば、服は濡れたはずだが、一日が経ち、もう、すっかり乾いているようだった。青年は、部屋の中を見回す。何かを警戒しているようだった。 「誰かに、追われているのか」 青年は、無言で頷いた。 「ここには、誰も来ないから、安心しなさい」 神崎が言うと、しばらくして、青年は落ち着いたようだった。この岬に到着してから一睡もしていないのだろう。青年は、壁にもたれて、座ったままで眠ってしまった。神崎は、この青年をどうしたものかと考える。何か、訳があるらしい。この家には、電話は無い。警察に連絡を取ることは出来ないし、そのつもりもない。とりあえず、青年のやりたいようにやらせておくしかないだろう。 翌日、神崎は、一緒に朝食を食べながら青年の名前を聞いた。 「君の名前を教えてくれないか」 「若村です」 「年齢は、幾つくらいだ」 「二十一です」 神崎の予想は、外れてはいなかったようである。 「学生か」 「いいえ。違います」 「じゃあ、働いているのか。仕事は」 「今は、無職です。以前は、大工の見習いをしていました」 「職人の世界は、厳しいだろう。私には経験は無いが、知り合いに大工は居るよ。この家もその知り合いに建ててもらったものだ」 「そうですか」 「手に職があるというのは、いい事だよ。大工でなくても、他にも、色々と仕事はある」 「そうですね」 神崎は、当たり障りの無い会話で、青年とコミュニケーションを取ることにした。そうすれば、自分への警戒心もその内、解いてくれることだろう。それに、この岬に来た理由も話す気持ちになってくれるかもしれない。 青年が家に来て三日目。神崎は、青年を連れて岬の海岸を歩いた。岩場には、まだ青年の乗って来た小船が残っている。青年は、足を止めて小船を見た。 「この船は、まだ必要か」 「いいえ。もう必要ではありません」 「この船で、どこから来た」 「東の方です。潮に流されて、ここに来ました」 「この先、どうするつもりだ。いつまでも、ここに居るわけにはいかないだろう」 「明日には、出て行きます」 「行くあてはあるのか」 「いいえ。でも、ここに居られないということは、僕にもわかっています。そろそろ潮時です」 「潮時か」 青年は、意外な事を、告白した。 「実は、僕は、人を殺して、ここに来ました。このまま、僕がここに居れば、あなたにも迷惑が掛かることになります」 「人を殺した。それは、本当か」 「はい。本当です。今度は、僕が殺される番です」 「なぜ、君が殺されなければならない。警察に自首をしろ。守ってくれるだろう」 「警察は、守ってくれませんよ。相手が相手ですから」 「相手とは」 「やっかいな、犯罪組織ですよ。警察の手に負える相手ではありませんから」 「いわゆる、裏組織か。話してみなさい」 「話しても、あなたには、わからないでしょう」 「わからないかどうか、話してみないとわからないぞ」 「普通の人には、縁の無い事ですから」 「普通の人か。君が言う普通の人の中に、私は含まれないだろうな」 「どういう事です」 「私も、以前は、裏組織に関わっていた事がある。今でも、大抵なところには、顔がきくつもりだ」 青年は、神崎の言葉を聞き、マジマジと、その顔を見る。 「あなたは、何者ですか。そもそも、なぜ、このようなところに住んでいるのです」 「それは、君は知らない方がいい。それよりも、君の方の事情を話してみなさい」 青年は、落ち着いて、これまでの事を話した。彼の言う犯罪組織とは、この地域一帯で広く勢力を持っている裏組織で、神崎も深い関わりを持っていた。 確かに、その裏組織は、警察の手に負える相手ではない。それは、神崎自身が、一番よくわかっている。 「事情は、わかった。悪いようにはしないから、しばらく、ここに居ればいい」 神崎は、そう言って、しばらく青年を家に留めておくことにした。神崎は、色々と、考えを巡らせた。
あれから一週間が経ち、また、生活必需品が、船で岬に運ばれて来る。神崎は、荷物を降ろすと、その船に乗り込んだ。 「どうかしましたか」 船長が聞く。 「まあ、港まで行ってくれ」 船長は、神崎を乗せて、港まで戻った。 「悪いが、夕方にまた、岬まで私を戻してくれないか」 「わかりました。お待ちしていますので」 神崎は、船を降りる。そして、ある人の家に歩いて行った。和風建築の大きな家である。広い庭と車庫があり、車庫の中には、二台の高級車が置かれている。表札には「飯島」と書かれている。神崎は、大きな門の柱に付いているインターホンを押した。 「どちら様ですか」 「神崎です」 「少々、お待ちください」 門が開き、中からお手伝いの中年女性が出て来る。 「どうぞ、中へ」 女性の案内で、神崎は家の中に入る。玄関から、廊下を歩き、応接間に。そこに飯島が待っていた。 「どうしました。神崎さんが、ここに来るとは、珍しい」 飯島は、そう言って、ソファーに座った。 「どうぞ、お座りください」 と、飯島は、神崎にも座るように促す。 小さなテーブルを挟んで向かい合って座ると、お手伝いさんが、お茶を入れて持って来てくれた。 「それで、ご用件は、何でしょう」 「うん。実は、頼みがある。若村という青年は知っているな」 「若村ですか。さあ、私は知りませんが」 「そうか。では、指示を出せ。若村という青年には関わるなと」 飯島は、ゆっくりとお茶を飲む。 「神崎さんは、少し現状を認識していないようですね。もう、あなたに、そのような権限はありませんよ」 「それは、わかっている。だから、こうやって、頼みに来ている」 「まあ、考えておきましょう。ところで、あの、岬での生活は快適ですか」 「そうだな。何の喧噪も無く、静かなものだ」 「もう、二年くらいになりますか。あそこに移られてから」 「そうだな。そのくらいになる」 「この二年で、町は変わりましたよ。もはや、神崎さんの戻ってくる場所は無いと思いますよ」 「だろうな。もう、戻るつもりはない」 しばらく話をした後で、神崎は、家を出ることにする。飯島は、玄関まで出て来て、神崎を見送る。 「それでは、お元気で。また、何かあれば、何なりと」 飯島は言った。表情は笑顔だが、内心は、そうではないとすぐにわかる。 神崎は、しばらくの間、久し振りの町の中を歩いた。二年前と比べて、それほど外観の変化は無い。息子の家にも寄って行こうかと思ったが、それは、やめておくことにする。 夕方、神崎は岬に戻った。しかし、家の中に青年は居ない。どうしたのかと思って、家の周辺を探した。しかし、どこにも青年は居ない。もう一度、家の中に戻った時に、散弾銃が無いのに気がついた。まさか、と、神崎は思う。現役を退いた自分の感覚は、すでに鈍っていたのかもしれない。 暗くなるまで岬の林の中を歩き、神崎は、家から離れた場所で、殺害されている青年を見つけた。恐らく、飯島が手を回したに違いない。自分の判断が甘かった。 かつては、自分も手を染めた事のある道だが、やはり、汚い手であると思う。かつての自分が、また、そのようであった事には、疑いが無い。しかし、なぜ、このような甘い手段を取ってしまったのか。相手に憤慨するよりも、自分への後悔の念が浮かぶ。神崎は、青年若村を埋葬することにした。もはや、自分に、物事を解決する力は無い。この岬の先の、古びた灯台の元で、静かに暮らして行くしかないのである。それが、自分であるようだった。
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