嫌な世の中になったものだと、水野誠一は思った。 長年、続く不況で、町には失業者があふれている。 犯罪も増え、治安の維持を名目に、政府は国民への統制を強めていた。 デモや集会も制限され、メディアによる表現の自由も封じられつつある。 しかし、国民の多くは、その日の住み家や、食べる物を心配する方が先で、政府の強権を非難する声は、一向に湧き上がって来なかった。 誠一も、そのような一般国民の一人である。 今は失業中で、日雇いのアルバイトを探しながら、食いつないでいる有様だった。 アパートの部屋代も、もう半年も滞納している。 大家からは、立ち退きの要求もされていた。 今の部屋に、いつまで住むことが出来るのかわからない。 誠一は、職業安定所に向かっていた。 職業安定所の前は、仕事を求める人であふれている。 しかし、求人は少なく、職業安定所で仕事を得る可能性は少ない。 そこに集まる失業者の多くは、仕事を斡旋してくれる「仲介者」と呼ばれる人たちに会うことが目的だった。 仲介者たちは、失業者たちに日雇いの仕事を斡旋してくれる。 しかし、それは賃金が安い上に、全ての失業者をまかなえるだけの仕事は無い。 仲介者に会えても、仕事にありつけない日は多い。 今日は、誠一は、仕事にありつくことが出来なかった。 空しく、職業安定所から、アパートの部屋に帰る。 お金が無いので、何もする事が無い。 とりあえず、昼寝をすることにした。 午後の五時まで、部屋の中で過ごす。 五時からは、行かなければならない場所があった。 午後の五時半から、週に二回、水曜日と日曜日に、ボランティア団体「緑の葉」がホームレスを対象に炊き出しをしていた。 ご飯に味噌汁、その他、少しのオカズを無料で食べることが出来る。 もちろん、ホームレスでなくても、近くに住む貧しい多くの人たちが、その炊き出しを目当てに公園の広場に集まっていた。 誠一もその中の一人である。 少し早目に広場に行き、列の後ろに並んだ。 顔見知りの仲間も、すでに何人か広場に来ている。 誠一は、彼らと雑談をしながら時間を待つ。 しばらくすると、炊き出しが始まった。 誠一は、順番が来て、ご飯と味噌汁をもらう。 誠一は、広場の片隅にある花壇の脇に腰を下ろして、それを食べる。 仲間の一人、中村義男が、誠一の隣に座る。 「今日は、仕事にはありつけたのか」 義男が言う。 「今日は、あぶれた。中村は」 「俺もそうだ。最近は、日雇いの仕事に就くことも難しくなった」 「この先、どうなることか。俺たちは、生きて行くことが出来るのか」 「難しい事は、考えないようにしよう。どうにもならない事を考えるのは、無駄だ」 中村は、どちらかといえば、楽天家である。 この不況の中でも、明るく生きて行くことが出来るのはうらやましい。 誠一には、一つ、前から思っている疑問があった。 「緑の葉」のようなボランティアは、全国に広がっていると聞いている。 そのために、自分たちのような貧しい人たちが飢えなくてすむわけだが、そのボランティアの資金は、どこから出ているのだろうか。 まさか、全てが無償で行われているというわけではないだろう。 どこかで、誰かが、お金を出しているはずである。 奇特な人も居るものだ、と、誠一は思った。 何の利益にもならない事に、これほど熱心になる人たちが居るとは。 本来ならば、国がしなければならない事のはずだが、それを、国に期待するのは、無理というものだろう。 国は、貧しい一般市民のことまでは考えてくれない。 それが、常識というものだった。
それから三日間、誠一は、運良く、仕事にありつけた。 それは、建設現場での仕事である。 町の中で、五階建てのビルが一つ、建設中である。 何か、商業用に使うビルらしい。 出来上がってしまえば、自分には、関係の無いものである。 四日目も、同じ現場に行くことが出来るものと思っていたが、その日は、別の現場になった。 誠一は、特に、どこの現場でもこだわりは無い。 とりあえず、その日の仕事にありつくことが出来れば、満足である。 今日は、川にかかる橋の修復の仕事である。 誠一たちは、同じ現場に向かう十数人の人たちと一緒に、バスに乗り込む。 約二十分、バスに揺られて、現場に到着し、誠一たちは、バスを降りる。 橋のたもとで、誠一たちは一か所に集められ、現場監督の話を聞いた。 簡単な注意事項、仕事の振り分け、仕事内容の説明、その他、道具の使い方、など。 一通りの仕事の説明を受けた後、さっそく、仕事に取り掛かる。 しかし、仕事を始めようとしたその時、誠一たちの目の前で、突然、橋の中央が爆発し、橋は二つに折れて、川の中に落下した。 誠一たち労働者は、何が起こったのかわからず、呆然とそれを見た。 現場監督も、この状況にどう対応すればいいのか困っているようで、上司に連絡を取っている。 すぐに数台のパトカーが来て、警察官が現場に現れた。 警察官たちは、すぐに現場の整理を始め、誠一たち労働者には、すぐにこの場を離れるように指示した。 誠一たちは、バスに乗って、また職業安定所の前に戻る。 これで、今日は仕事が無くなってしまった。 誠一は、また、部屋に帰って寝ることにした。
翌日も、仕事を得ることが出来なかったので、誠一は、町の図書館に出かけた。 図書館は、無料で本が読めるので、いい暇つぶしになる。 それと、新聞を読もうと思っていた。 昨日の出来事が、ニュースになっていないかと思ったからである。 誠一は、図書館に入ると、棚の前に置かれていた新聞を手に取り、テーブルに座って広げてみる。 しかし、新聞のどこにも、昨日の事件は載っていなかった。 誠一は、図書館を出ると、近くにある電気店に行ってみた。 ちょうど、地方ニュースの時間だったので、昨日のことを報道しているかと思ったが、やはりテレビでも、その事は取り上げていなかった。 報道管制に引っ掛かっているのだろうかと思う。 あの事件は、国にとって、それほど重要な意味を持つものだったのだろうか。 報道管制がどういう基準で行われるのか知らないが、ニュースを見る限り、日本国内は平和である。 しかし、そのようなはずは無いと、誰もが思っていた。 人の口を完全にふさぐことは出来ない。 噂というものは、どこからでも、流れて来るものである。
日曜日、今日は「緑の葉」の炊き出しの日である。 今週は、結構、仕事が出来たので、金銭的には、少し余裕があった。 しかし、それは必要最低限のお金に、少し余裕が出来たというだけの話で、決して、楽な生活ではない。 日曜日にも、一応、仕事を探しに出かける。 仕事のある日には働き、仕事の無い日には休む。 とりたてて、曜日に関係は無い。 今日は、仕事にはありつけなかった。 いつものように部屋に戻り、昼過ぎまで眠る。 そして、今日も早めに、公園の広場に行った。 そこには、いつものように、すでに人が集まっている。 広場の右側に、人の輪が出来ていた。 誠一は、何を話しているのだろうと興味を持ち、その人の輪に近づいてみる。 彼らは、この間の、誠一が見た、橋の爆破の話をしているらしい。 事情に詳しい男が一人、居るようだった。 その男を中心に、話は進んでいるようである。 「あの事件は『新改革同盟』が起こしたものだよ。これまでは、東日本を中心に活動をしていたようだけど、とうとう、この西日本にも、活動の場を広げるようだ」 「その『新改革同盟』って、何だよ」 「もう少し、国民の生活を豊かにしようという人たちの作ったグループだよ。最近になって全国的に支持も広がっているようだ」 「それと、この前の、橋の爆破と、何の関係がある?」 「公共の施設が破壊されれば、それを修復する仕事が出来る。そのためのテロだよ」 「でも、危険じゃないか? もし、人が死んだら、どうする」 「それには、十分な注意を払っているようだが、やはり、過激な活動をしているので、犠牲者は出ることもある。それは、仕方が無い」 「しかし、テレビや新聞では、全く報道されていないが」 「それは、国が報道管制を敷いているからだ。その『新改革同盟』は、反政府組織と見なされている」 「と、いうことは、その『新改革同盟』は、政府指定の危険団体に登録されているというわけか」 「指定団体の中でも、最大、かつ、最強のものだと思うよ」 「君は、なぜ、それほど『新改革同盟』について、詳しい?」 「以前、知り合いが『新改革同盟』に参加していたから、その人に聞いた。俺が、北海道に居た時に」 「君は、北海道に居たのか」 「北海道は『新改革同盟』の発生の地で、活動も活発だったよ。この辺りも、そろそろ、その影響を受けることになるのかな」 誠一にとっては、もちろん、初めて聞く話である。 しかし、「緑の葉」にしろ「新改革同盟」にしろ、自分たちのような貧しい人々のことを考えてくれる組織が、この日本にも多くあるということは嬉しい。 本来ならば、国が考えてくれなければならないことだが、それを望むのは無理である。 今の国には、国民一人一人のことを考えている余裕は無いのだろう。
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