僕の夢は、教師になることだった。 きっかけは、中学一年生の時に、一人の先生に出会ったことである。 その先生は、生徒からの信望が厚く、冗談の好きな、楽しい先生だった。 その先生は国語の担当で、僕は、苦手だった国語の成績が、その先生のおかげで、かなり上昇した。 中学三年の時には、念願だったその先生が担任をするクラスになり、卒業式の日には、先生と一緒に涙を流した。
高校に入ってからも、先生との交流は続いた。 時折、電話で話をする。 将来は、僕も中学の教師になるつもりだと言うと、先生は喜んでくれた。 「きっと、大原なら、いい先生になるよ」 と、先生は僕に言ってくれた。
大学の教育学部に進学をする。 僕は、やはり、中学の国語の教師になるつもりだった。 他の学生たちが、アルバイトに、サークル活動に、恋愛にと、講義にも出ないで遊びに精を出す中で、僕は、熱心に勉強をした。 大学四年の教育実習では、母校に帰ることになる。 先生は、すでに、他の中学校に転勤をしているが、ようやく、夢の一歩手前に来たことを先生も喜んでくれた。 しかし、教育実習が始まる直前のことである。 先生が、交通事故で亡くなった。 それは、相手側の不注意による不慮の事故で、僕は、先生の葬式に出席をした。 そこで、先生と同じ、生徒に慕われる教師として、生涯をまっとうすることを誓った。
大学を卒業すると、僕は地元の中学に国語の教師として赴任した。 そこは、偶然にも、先生が交通事故で亡くなるまで勤務していた中学校だった。 僕は、希望に燃えて、授業をすることになる。 しかし、そこで待っていたのは、予想もしない、厳しい現実だった。
学級崩壊。 話には聞いていたが、まさか、自分の担当するクラスで起こるとは思わなかった。 生徒たちが、自分の言うことを聞いてくれない。 完全に、自分は、生徒たちから舐められていた。 いくら、彼らを、自分の話に引きつけようと努力しても、無駄だった。 怒ってもダメ。 体罰に訴えることも出来なかったし、それは、してはならないことでもあった。
二年目に、担任としてクラスを任されても、それは、変わらなかった。 すでに、僕は教師としての自信を失い、体調を崩し、時折、学校を休まなければならなくなった。 そして、三年目である。 僕は教師として不適格と判断され、校長から、退職を促された。 それは、妥当な判断だろうと、僕自身も思った。 泣きたい気持ちを抑えて、僕は退職願いを提出する。 僕は、肩を落として学校を去った。 亡くなった先生にも、申し訳がなかった。
夢を失い、職を失った僕は、これからの生活をどうしようかと考えた。 とりあえず、再び、生徒たちと顔を合わせることのない職場で仕事をしたい。 職業安定所に通って見つけたのは、ある工場での仕事だった。 未経験者歓迎、と、書いてある。 僕は、慣れない仕事を始めた。 職場の同僚たちには、自分が教師をしていたということは話さなかった。 恥ずかしいというか、情けない思いがあった。
工場に入ってから、五年目の夏のことである。 アルバイトとして、一人の若い女の子が、工場に入って来た。 僕は、その女の子の顔に見覚えがあった。 僕が最初に受け持ったクラスにいた女子生徒である。 立花由香里という女の子だった。 幸い、職場は同じではなかった。 仕事をしている時に、直接、顔を合わせることはない。 しかし、彼女が、自分のことをどう見ているのかと思うと不安だった。 内心、僕のことを馬鹿にしているのではないだろうか。 また、僕のことを、失格教師として、周囲の同僚たちに言いふらすのではないかと、不安を持った。 口止めをすることも出来ない。 そのようなことをすれば、かえって、逆効果であることもわかっていた。
毎日、ビクビクとしながら、仕事をする。 時折、この仕事を辞めた方がいいのではないかと思ったりもした。 しかし、ある日、昼休みに、彼女が僕に声をかけてきた。 「大原先生ですよね」 恐れていたことが起こったと思った。 ついに、失格教師としての自分と、向かい合わなくてはならない。 「先生を辞めたと聞いていましたけど、ここで仕事をしていたのですね」 「うん」 「どうして、教師を辞めたのですか」 「どうしてって……」 「やっぱり、私たちのせいですか」 「そうじゃないよ。僕が力不足だっただけだ」 「私、反省しています。あの時のことは」 「もう、いいよ。済んだことは」 「本当に、すみません」 彼女は、頭を下げた。 本当に、心の底から後悔しているようで、僕は、少し、慰められた。
しかし、あの時の生徒のほとんどが、僕が教師を辞めたことなど、何とも、思ってはいないだろう。 彼らの多くが、それを振りかえることなく、普通の大人として成長をしていくに違いないと思う。 本当ならば、そういう生徒たちに、良いことは良い、悪いことは悪いと、正しく指導することこそ、僕の本来の仕事だったはずである。 しかし、僕の教師としての生活は、そのレベルにも至らなかった。 残念である。
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