畑野孝は、古い一軒家を見つけて、そこを借りることにした。 二階建てで、一階に三部屋と台所、風呂、トイレ。 二階には二部屋が東西に並んでいる。 一人で住むには、広すぎる家だった。 とりあえず、一階部分の掃除と整理を済ませ、そこで生活をすることにする。 孝は、売れない画家をしていた。 別に、絵を描いて生計を立てていたわけではない。 実家が裕福で、孝は親からの援助で、十分、生活をすることが出来た。 毎日、気ままに、車に乗って、絵を描きに出かけて行く。 孝が描くのは、もっぱら、風景画だった。 きれいな景色を見つければ、そこで車を止めて、日が暮れるまで絵を描いている。
新居に住み始めてから、二週間が経った。 その日もまた、孝は絵を描きに、朝から出かけていた。 三日前から、同じ海岸の風景を描いている。 その日は、昼を過ぎた頃から空が曇り始め、雨も、ぽつり、ぽつりと、落ち始めた。 孝は、絵の道具を片付け、早めに家に帰ることにする。 家の前まで帰って来ると、門の前に一人の女性が立っていた。 誰だろう、と、孝は思いながら、車を車庫の中に入れる。 孝が車から降りると、女性は、孝の方に歩いて来た。 「すみません。失礼ですが、この家に住んでいる方ですか?」 「そうですけど」 「いつから、この家に住まわれていますか?」 「二週間前からですけど」 「そうですか。私も、この家を借りようと思っていたのですが、大家さんから、何か聞いていませんか?」 孝は、大家から聞いていた話を思い出した。 孝が、この家を借りようとした時、先約があると、一度は断られていたのである。 孝は、倍の家賃を払うからということで、強引に契約をしたのである。 「あなたですか。聞いていますよ」 「この家は、私が借りる予定だったはずですが」 「そのようですね。すみません。横から割り込んでしまって」 「どうしましょう。私は、前の家を引き払って、他に行くところがないのですが」 「よかったら、二階に住みませんか? 二階は使っていないので、貸してあげてもいいですよ」 「あなたと、同居ということですか」 「嫌でしたら、仕方ありませんが」 「しばらく、考えさせてください」 女性は、そう言って、どこかに帰って行った。 女性は美人だったが、孝に、下心があったわけではない。 これまで、孝に近づいて来る女性は、お金が目当ての人間ばかりだった。 そういう女性に、孝は全く興味が無かった。
それから、二日後の夕方。 その女性が、また家に来た。 「やはり、この家の二階に住まわせてもらうことにします。いいですよね」 「もちろん、いいですよ。どうぞ」 翌日、女性は、引っ越し業者と一緒に、荷物を二階に運び込んだ。 孝は、別に、用は無いのだが、描きかけの絵の仕上げをしながら、その様子を窺う。 昼過ぎには、引っ越しは終わった。 業者が帰ると、家の中は落ち着いた。 しばらくして、女性が二階から下りて来る。 「お騒がせしました。引っ越しは終わりましたので」 「そうですか。お疲れ様」 「絵を描いているのですか」 「そう」 「失礼ですが、お仕事は、何をしているのですか」 「一応、僕は、プロの画家です。あまり、売れないですけど」 「そうですか。どうりで、上手だと思いました」 女性は、描きかけの絵を覗きこむ。 あまり、視力が良くないようである。 「まだ、お名前を聞いていませんよね。僕の名前は、畑野孝といいます。あなたは」 「私は、姫野香織です。これから、よろしくお願いします」 「こちらこそ」 「言っておきますが、二階には上がって来ないでくださいね。二階は、完全に私の空間ということでいいですよね。家賃は、半分は、払いますので」 「いいですよ。そうしましょう」 孝は、香織に家の合鍵を渡す。 とりあえず、互いの生活に干渉をしないということで、一つ、屋根の下での同居がはじまった。
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