それから十五年後。 十五歳の桑田甚八は、例外的に剣闘士としてデビューした。 本来、剣闘士は十八歳で養成所に入り、二十歳でデビューするのが、最も早いコースだったが、クローンの桑田甚八は、物心が付いた頃から、すでに剣闘士としての専門的な訓練を受けている。 デビュー戦には、かつての多くのファンが駆け付けた。 森田光江も、大人になった原田満も、その中に居た。 競技場の東の門が開き、桑田甚八が姿を現す。 それは、まだ少年の要素を残したものの、紛れもなく、桑田甚八に違いなかった。 溜息のような歓声が、競技場を包んだ。 対戦相手もまた、今日がデビューの剣闘士だった。 名前を菅原兼生と言った。 長身で恰幅が良く、桑田甚八に劣らない二枚目でもあった。 試合開始の合図と同時に、観客たちは息を飲んだ。 桑田甚八は、以前の桑田甚八とは違っていたのだ。 残虐な人殺し。 以前のような華麗な姿は、今の桑田甚八には無かった。 まさに人を殺すために生れて来た戦闘機械。 今の桑田甚八の戦いぶりは、観客たちにそう印象づけた。
以前と同じように、桑田甚八は勝ち続けた。 しかし、その残虐な戦いぶりは、次第にファンを減らして行った。 なぜ、オリジナルとクローンで、こうも戦いぶりが違うのか、心理学者たちが様々なマスコミを通じて、検証を始めた。 オリジナルの桑田甚八が剣闘士になった過程は、こうである。 甚八は、ごく普通の家庭に三人兄弟の長男として生まれた。 父親は小学校の教師をしていたが、甚八が十歳の時に病気で亡くなった。 それから、母親が苦労をして三人の子供を育てて行くことになる。 甚八が剣闘士になることを決心したのは、母親と兄弟を経済的に助けるためだった。 本当は、父親と同じ、教師になりたかったらしい。 一方、クローンの桑田甚八は、初めから、剣闘士になるために育てられた。 剣闘士のこと以外は、何もしらないと言っていい。 この成長過程の環境の違いが、戦いぶりの違いに現れているのだろうと、ある心理学者が言った。 クローンといえども、やはり、別人である。 同じ遺伝子、同じ素養を持ってはいるが、性格が同じだとは限らない。 そして、運命も……。
クローンの桑田甚八は、十七歳の時に、試合に敗れて、命を落とした。 それは、まさに、不運としか言いようの無い結果だった。 相手が苦し紛れに放り投げた剣が、偶然にも、桑田甚八の喉を貫いたのだ。 甚八にも、油断があったはずである。 オリジナルが試合中には決して見せなかった油断を、クローンは見せてしまった。 無敵の剣闘士としての自覚が、そうさせたのだろうか。 やはり、二人の性格の違いか。
さらにもう一体、クローンを作ろうという話は起こらなかった。 クローンが必ずしも、本体の完全コピーではないということが、証明されたからである。 森田光江も原田満も、クローンの桑田甚八には共感を覚えなかった。 しかし、オリジナルの桑田甚八の姿は、鮮明に頭の中に残っている。 彼は英雄として、剣闘士の殿堂に残ることになる。 それで、十分だろう。
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