恋人に振られた清水香澄は、その日、一晩、部屋の中で泣いた。 しかし、切り替えは早い方で、翌日には、気分もすっきりと回復し、アルバイトに出かけて行く。 アルバイト先は、最近、近所に出来たファーストフード店である。 マクドナルドのような全国展開のチェーン店ではなく、市内に数店舗を展開するだけの小規模な店である。 しかし、他に競合店が無いので、客の入りは多く、結構、繁盛していた。 香澄のアルバイトは、午前十一時から、午後八時まで、途中、休憩を挟んで、八時間の勤務である。 その日も午後の八時を回り、同じアルバイト仲間で、仲の良い近藤夏美と、夕食を食べに出かけることにした。 近くのファミリーレストランに、自転車で移動する。 空いたテーブルを見つけ、二人で座った。 注文をした後、香澄は、さっそく、恋人に振られた愚痴を延々と夏美に話す。 「まあ、早く、次の恋人を見つけることね」 夏美は、言う。 「わかっているけど、なかなか、いい男がいない」 香澄は、言う。 夏美は、恋人が居る。 しかし、香澄は、まだ、夏美の恋人に会ったことがない。 話によると、なかなか、いい人らしい。 一度は、会ってみたいと思っている。 夕食を食べ終え、デザートにアイスクリームを食べる。 「いい事、教えてあげようか」 と、アイスクリームを食べながら、夏美が言った。 「何?」 と、香澄は聞き返す。 「恋愛がかならず成就するという神社があるの。行ってみる?」 「それ、どこ? 行ってみたい」 「今度の休みに連れて行ってあげる。ちょっと、遠いけど」 シフトの関係で、香澄と夏美の休みが一緒になるのは二週間後の水曜日だった。 水曜日の朝、夏美が車で迎えに来てくれた。 香澄は助手席に乗り込み、夏美は車を走らせる。 「新見市まで行くから、三時間はかかると思うわよ」 夏美は言った。 車内には、夏美の好きな音楽が流れる。 車は高速道路に乗り、北に向かった。
高速道路を降り、静かな、山間の町に出た。 「さて、ここからどう行けばいいのかな」 と、夏美は言う。 夏美は、あまり目的地を詳しく知らないらしい。 途中で見つけたコンビニで、 「形原神社には、どう行けばいいのでしょうか」 と、店員に道を尋ねる。 形原神社は、そのコンビニからそれほど遠くない場所にあった。 正面には小さな赤い鳥居があり、その隣の敷地が、砂利を敷いた駐車場になっていた。 夏美はそこに車を止める。 「さあ、着いた」 と、夏美と香澄は、車を降りる。 二人は鳥居をくぐり、背後の山に続く石段を上がった。 神社の境内は、その石段の上の、山の高台にあった。 「ここで、お参りをすればいいわけ?」 香澄は聞く。 「それだけじゃないのよ。色々と、しきたりがある」 まずは、賽銭箱に五十円の賽銭を入れ、鈴を鳴らし、手を合わせ、好きな人がいれば、その人の名前を三回、頭の中で唱える。 そして、社殿の周囲を、右回りに三回まわり、もう一度、賽銭箱の前で同じことを繰り返す。 その後、絵馬を買い、そこに好きな人の名前と自分の名前を書き、境内の裏の山の木の中に吊るす。 その場所は、高ければ高いほど、良い。 それから、おみくじを買い、結果が何であれ、肌身離さず、身に付けていること。 そして、それから毎日、百回以上、好きな相手の名前を頭の中で繰り返すこと。 そうすれば、願いは必ず叶うと、もっぱらの評判だと夏美は言った。 「どこで聞いたの?」 と、香澄は聞く。 「以前、アルバイトをしていたところの仲間に、この町の出身の子がいたのよ。その子に聞いたの」 夏美は言った。 「騙されているんじゃないの」 と、香澄は疑う。 「もし、そうだとしても、試してみるのもいいんじゃない? ほんの、遊びだと思って」 夏美はそう言いながら、社殿の正面に向かう。 香澄は、とりあえず、試してみることにした。 香澄には、今のところ、好きな人はいない。 振られた相手には、もはや、未練は無い。 色々と考えた末、一人の男の顔が、ふと頭の中に浮かぶ。 それは、中学の時から、高校を卒業するまで、片思いをしていた同級生で、渡辺直人といった。 高校二年生の時に、一度、交際を申し込んだことがあるのだが、あっさりと、振られてしまった。 「僕には、好きな人がいるから」 というのが、彼の理由だった。 その人が、誰なのか、香澄は知らない。 知りたいとは思っていたのだが、それをつきとめる方法が無かった。 その、渡辺直人の名前を、夏美に言われた通り、頭の中で唱える。 そして、絵馬にも名前を書き、木の上に吊るした。 「渡辺直人って、誰?」 と、夏美は、聞く。 「昔の同級生。私の好きだった人」 と、香澄は答えた。 おみくじを買うと「吉」が出た。 良くもなく、悪くもなくといったところで、ひとまず、安心する。 「そういえば、帰る時には、石段を後ろ向きで下りなければいけないそうよ」 夏美は言った。 香澄は、言われた通り、後ろ向きで石段を下りる。 どうも馬鹿げたことをしているようだが、それもまた、面白い。 それから毎日、吉のおみくじを身につけ、渡辺直人の名前を百回、唱える。 半信半疑だが、別に、損をするわけではないので、続けてみるのも悪くない。
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