ビルの五階に、その事務所はあった。 そこは、広告を制作する会社である。 チラシから看板まで、色々な広告を作る。 木村正人は、その会社で営業の仕事をしていた。 広告の注文を取るのが、正人の仕事である。 その日、いつものように事務所で仕事をしていると、一人の男が、事務所に正人を訪ねて来た。 正人は、仕事の手を止めて、応対に出る。 「お待たせしました」 と、正人は、男を応接室に通す。 「御用件は、何でしょう」 と、正人は聞く。 「私、こういう者ですが」 と、男は、名刺を正人に差し出した。 「余生の村、村役場、広報課、藤本健也」 と、名刺には書かれていた。 「余生の村?」 「はい。私の村は、人が余生を、穏やかに送るために設けられたものです。私はそこで、役場の広報課の仕事をしています。藤本健也と申します。どうぞ、よろしく」 正人も、自分の名刺を、藤本に渡す。 藤本は、丁寧にその名刺を見ると、懐にしまった。 「それで、私に、何の御用でしょう」 「牧野辰夫という方を、ご存知ですよね」 「はい。知っています。あなたも、牧野くんの知り合いですか」 「はい。実は、その牧野さんが、先月から、私たちの村で生活をしています。どういうことか、わかりますよね」 「まさか、牧野くんが?」 「余命半年だそうです。肝臓ガンに侵されています」 正人は、驚いた。 辰夫とは大学時代の親友だった。 しかし、ここ一年ほど、連絡を取り合っていない。 お互いに、仕事が忙しいということもあった。 しかし、辰夫が、病魔に侵されているとは、想像の出来ないことだった。 「牧野くんが、私を呼んでいるのですか」 「いいえ。そういうわけではないのですが」 「では、どういうわけですか」 「実は、牧野さんから、木村さんのことを紹介されまして。私たち広報課では、私たちの村のことを、広く社会に宣伝したいと思っています。しかし、あまり大袈裟なものにはしたくないと思っていまして、その辺りを、どのようにしたものか、プロの方に相談しようと思っていたところ、牧野さんから、木村さんを紹介されたというわけです。どうでしょう」 正人は、考える。 しかし、とりあえず、仕事のことよりも、今は、辰夫の方が気がかりだった。 仕事を請け負うかどうかは、村を見てから決めることにした。 辰夫にも、会わなければならない。
車で五時間ほど走り、正人は藤本の案内で「余生の村」に到着した。 村は島根県の山奥にあった。 舗装された山道を抜けると、盆地のように開けたところに村がある。 村といっても、そこの建物は近代的で、都会の家と変わりない。 村というよりも、小さな町といった感じだった。 車は、村役場の駐車場に止まる。 車を降りて、正人は藤本と一緒に役場に入る。 藤本は、正人を広報課の課長に紹介する。 「仕事の話は、また後日として、とりあえず、牧野くんに会いたいのですが」 正人は言った。 挨拶を済ませると、さっそく、藤本が、正人を辰夫のところに案内してくれる。 辰夫は、白壁のマンションの二階に住んでいた。 インターホンを押すと、辰夫が中から出て来た。 「それでは、私は、ここで。何かあれば、役場に連絡をください」 と、藤本は、マンションを出て、帰って行った。
部屋に入ると、中は、かなり立派なものだった。 ワンルームの中に、生活に必要なものは、全て揃っているらしい。 「よく来たな。待っていたよ」 辰夫が言う。 見た目は元気そうで、とても、余命半年には思えなかった。 「どうして、何も言って来なかった? 突然、聞いて、驚いたよ」 「最初は、一人で、静かに死のうと思っていたのだが、ここに来ると、少し考え方も変わった。やはり、残された時間は、有意義に過ごさないと」 「ここは、どういう場所だ?」 「ここは、僕のように、余命宣告をされた人間が、余生を心おきなく過ごせるようにという趣旨で作られた村だ。必要なものは、何でも揃うし、やりたい事は、何でも出来る。もちろん、他人に迷惑をかけない範囲で」 「誰でも、この村には入ることが出来るのか?」 「医者で余命宣告をされた人間が、この村に入る資格があるそうだ。その中から、抽選で入居者が選ばれることになる」 「金は、どこから調達をしているの? この規模の村を維持しようと思えば、相当のお金がいるはずだけど」 「表には出ていないのだが、ある財閥の偉い人が、援助をしてくれているそうだ。この村はそもそも、その人の発案で出来たものらしい」 「俺の会社に、この村の広報が来たということは、広く、世間からお金を集めようということか」 「多分、そういうことだろう。力になってくれないか」 「それは、もちろん。仕事だから」 正人は、辰夫に、村の中を案内してもらう。 綺麗で、落ち着いた感じの村である。 余生を過ごすには、いい場所である。 村の中央には、白い洋風の外観の大きな建物があった。 「あそこに行けば、何でもある」 正人と辰夫は、中に入る。 右手には、食料品売り場があり、左側には、衣料、その他、日用品を売っているようである。 二階に上がると、本屋、家電製品、その他、娯楽用品を売っていた。 三階には、レストランがある。 洋風、和風、中華と、色々なものがあるようだった。 屋上にも上がれるようになっている。 屋上には芝生が敷かれ、ベンチも置かれて、くつろげるようになっていた。 二人の、若い男女が座っている。 「あの二人も、余命宣告を受けた人なのか」 「どちらか一人が、余命宣告を受けていて、もう一人が、恋人というところかな。もしかすると、結婚をしているのかもしれない」 「だとすると、別れはつらいだろうな」 「そうだろう。その点、僕の場合は気楽なものだよ。両親はすでに他界しているし、恋人も兄弟もいない。もちろん、結婚もしていないし、子供もいない。天涯孤独だからな」 「そうでもない。牧野くんが死んだら、俺が悲しむ」 「それは、ありがたい。生きている価値があったというものだ」 正人と辰夫は、一階に下りて、外に出た。 建物の北側には、立派な葬儀場があり、今日も葬儀が行われていた。 参列者の姿が、葬儀場の外にも並んでいる。 「ここでは、葬儀は日常のことだよ。葬儀は、無料で行われる」 「葬儀が無料か。それは、いい。葬式は、高いから」 「それに、僕のように身寄りがなくても、後の面倒は村が見てくれる。それも有難い」 「俺が、墓参りくらいしてやるよ。葬式も、仕切ってやってもいい」 「僕の葬式は、たいしたことは無いと思うよ。出席者もいないだろうし」 「その辺は、俺に任せろ。何とかしてやる」 村の中には、もちろん病院もあった。 余命宣告を受けた人ばかりなので、もちろん、病院に入院をしている人も多い。 病院は、村の中で一番、見晴らしのいい、高台の上にある。 「牧野くんは、病院には行かなくていいのか」 「週に一度、病院で薬をもらっている。痛みを抑える薬と、ガンの進行を抑える薬。もしかすると、一か月程度は、命が延びるかもしれないと言われている」 「一か月か」 「面白いもので、元気な時は、いつ死んでも構わないと思っていたが、いざ、死期が近づいて来ると、少しでも長く生きていたいと思う。人間というのは、勝手なものだ」 「それが、自然じゃないか。俺だって、そう思うよ」 村外れには、洒落たカフェがあった。 そこまで歩くと、辰夫は少し疲れたようでもあった。 「大丈夫か」 と、正人は声をかける。 「体力が、かなり落ちているから。それも、仕方がないところだけど」 「無理はするなよ」 カフェに入り、少し休むことにする。 二人とも、冷たいコーヒーを頼んだ。 「どうだ、この村は」 「いい村じゃないか。後で役場に行って、仕事の相談もしないと」 「やはり、広告を出すということは、資金的に厳しいのだろうな」 「広く、寄付をつのるのも、いいと思う。藤本さんに提案してみるよ」 「いい広告を作ってくれよ。この村が、ますます、いい村になるように」 「そうだな。考えてみるよ」 正人は、それから二日の間、役場で仕事の打ち合わせをしながら、辰夫とも、残り少ない時間を過ごす。 辰夫には、死期が迫っている。 しかし、辰夫は、そのような素振りは見せなかった。
正人はそれから時々、仕事の合間を見て、その村に足を運んだ。 辰夫との最期の時間を過ごす。 死に向かう時間は、確実に迫っていた。 そして、辰夫は、ついに動くことが出来なくなり、病院に入院した。 「そろそろ、寿命だな」 辰夫は、ベッドの中で言った。 「頑張れ。少しでも、長く生きていろ」 正人は、辰夫を励ます。 しかし、それは空しいものだった。 辰夫はついに、息を引き取る。 その瞬間、悲しみを感じるよりも、正人は呆然とした。 人が亡くなるということ。 それが、こういうことかと、正人は納得するしかなかった。
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