永井正人は、木造二階建てのアパートに暮らしている。 部屋は四畳半の和室が二つで、風呂もトイレもついていた。 南向きに窓があり、川が流れ、緑が広がる、なかなか落ち着いた、綺麗な景色で、正人はそこが気に入っていた。 休みの日には、一日、その窓から外を眺めている時もある。 晴れの日だけでなく、曇りの日も雨の日も、またいいものである。
正人には、女の友達がいた。 学生時代からの付き合いで、今も近くに暮らしている。 恋人というわけではない。 男女の間に友情は存在しないという人もいるが、正人と彼女とは、純粋な友達だった。
女性の名前は、川島博美という。 彼女も、近くのアパートで一人暮らしをしていた。 互いに、互いの部屋を行き来する仲である。 しかし、近頃、博美が部屋に来ることはなかった。 博美にも、恋人が出来たらしい。 恋人が出来れば、いかに友達とはいえ、他の男と付き合うのは控えるものだろう。
正人にも、想いを寄せている女性がいる。 それは、この窓辺の景色の中に、時々、現れる女性である。 近くに住んでいる女性だろう。 時折、自転車で川辺の道を通って行く。 長い髪が、風に揺れる。 名前も知らない。 もちろん、声をかけたこともない。 いつも、窓からその姿を眺めるだけである。 今のところは、それで十分、満足だった。
日曜日の朝。 正人は、窓辺の壁に背中でもたれ、文庫本を読んでいた。 開け放した窓からは、心地良い風が入って来る。 空には雲が多いが、その雲の間からは、青い空が覗いていた。 トントンと、ドアをノックする音がした。 誰が来たのだろうかと、正人は文庫本を置くと、窓に手をかけて立ち上がる。 「どなたですか」 正人は、中から声をかける。 「相川だ。開けてくれ」 相川徹は、正人の友達の一人である。 相川が、この部屋を訪ねて来るとは、珍しい。 正人は、ドアを開ける。 「どうした。日曜日の朝から」 「まあ、ちょっと、上げてくれ」 相川は、さっそく靴を脱ぎ、部屋の中に上がり込む。 「永井、今日は暇か」 「暇だけど、どうした」 「これから、出かけないか。ついて来てもらいたいところがある」 「いいけど、どこに行くつもりだ」 「来れば、わかる」 正人は、相川と一緒に部屋を出る。
正人と相川は、川沿いの道を歩いた。 風が、南から吹いて来る。 どこに行くのか知らないが、相川は黙々と歩く。 川沿いの道を外れ、畑の中の道を歩いた。 歩くこと三十分。 相川がつれて来たのは、何もない更地の広がる場所だった。 相川は、何かを探すように、辺りを見回す。 「ここに、何がある?」 「まあ、少し待て」 待つこと五分。 一人、二人と、野球のユニフォームを着た男たちが、そこに集まって来た。 正人の知らない男たちである。 「どういうことだ」 「少し、肩慣らしをしないか」 「俺に、投げろと言うのか」 「素人相手だ。気楽にやれよ。それとも、プライドが許さないか」 「そういうわけじゃない。投げろと言われれば、投げてもいい」 空き地には、十数人の野球好きが集まって来た。 相川が、その男たちの中に入って行く。 正人は、かつて、甲子園に出場をしたことのあるエースピッチャーだった。 当時の報道では、全国屈指の好投手と騒がれたものである。 集まって来た男たちは、当然、永井正人のことを知っているようだった。 男たちが、正人のところに集まって来る。 「永井さんですか? 本物ですよね」 「投げてもらえませんか。お願いします」 彼らは、口ぐちにそう言って、正人に迫る。 正人は仕方なく、ボールを手にした。 男たちは歓声を上げ、それぞれに散って、守備についた。
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