僕は刑務所で働いている。 僕の働いている大橋刑務所は、凶悪犯が収容される場所として知られていた。 死刑囚も、数多く収容されている。 平均すると、月に二人から三人の死刑が執行されている計算だった。
僕の仕事は、死刑執行官である。 死刑囚に電気を送る、最終のボタンを押す仕事をしていた。 いわば、合法的に人を殺すのが、僕の仕事である。 何も感じないといえば、嘘になる。 しかし、 「自分は正義の仕事をしている。悪人を殺すことで、世の中の正義を守っているのだ」 と、自分に言い聞かせ、その仕事を続けていた。
僕は、望んでこの仕事に就いたわけではない。 他に選択の余地はなかった。 僕のように無能な人間は、出来る仕事も限られてしまう。 その中でも、この仕事は、給料のいい仕事だった。 当然だろう。 他に、進んでこの仕事をやろうという人は、ほとんどいないに違いない。
死刑囚と、直接の関わりはない。 僕は、塀越しに、ボタンを押すだけである。 本来は、それだけでも良かったのかもしれない。 しかし、僕は最低限の責任は持ちたいと、自分が死刑を執行する相手の情報は、一度は目を通すことにしていた。 死刑囚の起こした犯罪の内容を知れば、憎しみも湧いて来る。 自分の罪悪感を消すために、それは有効だとも思った。 それと、それは自分の最低の責任だと思っていた。 何も知らずに、死刑執行のボタンを押すだけでは、無責任過ぎる。 機械的に、人を殺すということも、人間として無責任だろうと思った。
この仕事に就いてから、三年が経った。 もはや、自分が何人の人間の死刑を執行したか、わからない程だった。 初めから、自分が殺した人間の勘定はしないと決めていた。 空しくなると同時に、恐怖を感じてしまう。 それが人間としての、自然の感情というものだろう。
そして、その日もまた、僕は死刑が執行される刑務所内の建物に足を運んだ。 まだ、死刑囚は、そこには連れて来られていないはずだった。 刑務官が来て、僕に書類を渡した。 これから死刑になる犯罪者の犯罪歴が書かれたものである。 死刑囚は、二十五歳の男性で、名前は、柴田勉。 七人の女性を強姦の末、殺害していた。 最も若い被害者の女性は、十五歳だった。 これでは、死刑になっても仕方がない。 僕は、書類を読むと、即座にそう思った。
死刑の執行は簡単である。 死刑囚を電気椅子に座らせ、準備を終えると、僕の目の前にある赤いランプが点灯することになっていた。 死刑が執行される部屋の様子を、僕は全く知ることが出来ない。 その方が、感情を抑えるにも都合が良いので、そういう事になっているのだろう。 防音壁で区切られているので、その中の声も聞こえない。 死刑囚の死の苦しみが、外部に漏れてくる事は全くない。
僕は、いつもの壁の前の椅子に座り、ランプが点灯するのを待った。 ランプと、死刑執行の赤いボタンの他は、何もない、無機質な部屋である。 待つこと三十分。 目の前のランプが点灯した。 僕は、一つ呼吸をすると、目を閉じ、赤いボタンを押した。 その瞬間、死刑囚の全身に電気が流れ、命を奪ったはずだった。 後の事は、僕は知らない。 僕は無言で、その部屋を出た。
しかし、それから半月後、一つのニュースが報じられた。 「連続殺人で死刑の柴田勉、冤罪」 僕はそれを新聞の一面で見て、驚愕した。 記事の内容によれば、昨日、真犯人が、自ら警察に名乗り出て来たという事だった。 新聞では、警察の取り調べを、大きく非難していた。 僕はそれを見て、身の震える思いがした。 こいいう状態を、全く予想しなかったわけではない。 もしかすると、冤罪の可能性もあるのではないかと、いつも死刑を執行する時には頭の片隅をかすめていたはずだったが、それは、無意識のうちに、考えないようにしていた。 柴田勉を有罪にした裁判には責任がある。 しかし、それを考えることは、気休めに過ぎない。
僕は、一人の無実の人間を殺した。 いかに合法であろうとも、それは、許されないことに違いない。 もしかすると、これまで死刑が執行された死刑囚の中には、柴田勉のように無罪の人間が何人かいたのかもしれない。 そして、この仕事を続ける限り、その不安は永遠につきまとうことになる。
僕は数日考えた末に、所長に辞表を提出した。 「柴田勉の事が、原因か」 所長が、僕に尋ねる。 「それも一因ですが、そればかりではありません。もう、精神的に限界に来ているのかも知れません」 「確かに、どう正当性をつけようと、人を殺すということは、通常の精神では耐えられないだろう。私にも、経験がある」 「所長にも?」 「私も、若い頃に、君と同じ仕事をしていた時期がある。それは、やはり、自ら進んでというよりも、上から強制されたものだったが」 「失礼ですが、どれくらいの期間だったのですか」 「私の場合は、ほんの三か月くらいだった。すぐに、その職を離れられたのは、運が良かったのかもしれない」 所長が、同じ仕事の経験者だったというのは初耳だった。 もちろん、この仕事を経験した事を、他人に話したがる人はいないだろうから、それは当然なのかもしれない。 「君はこの仕事に就いてから、どれくらいになる?」 「はい、もうすぐ、三年になります」 「三年か。よく頑張ってくれた。代わりは、また探すことにしよう」 所長は、辞表を受け入れてくれた。 次の職探しは難しいだろうが、今の仕事を続けて行くことは、自分には無理だと思った。 しかし、自分がこの仕事を辞めれば、また誰かが、同じ苦しみを味わうことになるかもしれない。 しかし、この仕事は、社会的には必要なものである。 誰かが、続けなければならないものだった。
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