家の中も、手入れが行き届いていた。 部屋は三つに、台所が他にある。 美香は何度か、この家には入ったことがあるようだった。 「変わってないわね。でも、やっぱり、古くはなっているのかな」 美香は、家の中を眺めながら言う。 「そのうち、リフォームをしようと思っているのですけど。なかなか、お金もなくて」 沙織は言う。そう言いながら、お茶を入れてくれた。 「まだ、ここに住んでいるわけではないので、何も、お出しするものがないのですけど」 お茶と一緒に、お菓子を出してくれる。 「お構い無く」 と、美香は言った。 「失礼ですが、お仕事は、何をしているのですか」 孝夫は聞いてみる。 「地方紙のスタッフをアルバイトでしています。将来は、小説家になるのが夢で」 「小説家ですか。それは、素晴らしいですね」 「いいえ。まだまだ、夢の話です」 「現在は、どこに住んでいるのですか」 「今は、高原町の駅前に住んでいます」 「ここから、車だと一時間くらいですね。でも、ここに住むよりは、町にいる方が便利でしょう?」 「便利は、便利ですけど」 「何か、理由でもあるのですか」 「はい。まあ、それなりに」 孝夫が色々と聞いていると、 「あまり、プライベートなことを聞いていると、失礼じゃない」 と、美香が言った。 「いいえ。別に、構わないですよ」 沙織は笑顔で言う。 「実は、この家に住もうと思っているのには、理由があります。それは、亡くなった祖母のことです」 「私も、何度か会ったことがあります。優しい、おばあさんでしたよね」 美香は言った。 「実は、私、祖母に会ったことがないのです。私の母親は祖母と仲が悪く、私が生まれる以前に家を出て、一度も帰っていませんから」 「そうですか。それは、残念ですね」 「しかし、幸いにも、……信じてもらえないかもわかりませんが、私には霊感がありましてここに居ると祖母を感じることができます。とても、優しさとやすらぎを感じます」 「霊感ですか。でも、いいですね。亡くなった人にも会えるということは」 「はい。そうですね」 孝夫と美香はお茶を飲み、失礼することにした。 いい友達が出来そうだと、美香は喜んでいた。
孝夫はその日の夜、美香や美香の母親、父親から、秋山のおばあちゃんの話を聞いた。 沙織の言った通り、秋山のおばあちゃんは、娘である加奈子と、相当、仲が悪かったらしい。 仲が悪かった理由というのは、美香も父親も母親も知らないらしい。 しかし、加奈子は三十年前に家を出た。 それ以来、一度も家に帰っていないというのは、沙織の言った通りなのだろう。 おばあちゃんの夫は、早くに亡くなったらしい。 娘の加奈子は、おばあちゃんが女手一つで育てたのだそうである。 「子供の頃は、仲が良かったみたいだけどね」 母親が言った。 家庭の事情は、色々とあるものである。 孝夫も、両親とは、あまり仲が良いとは言えない。 しかし、絶縁状態というほど、ひどくはない。 時折、孫を連れて、両親に会いに行くことはある。 孫というのは、子供よりもかわいいものだろう。 翌朝、十時を過ぎた頃、息子の大介を連れて家の前を散歩していると、沙織が山道から下りて来るのが見えた。 「おはようございます」 と、挨拶をすると、 「おはようございます。丁度、良かった」 と、沙織は言い、孝夫の方に歩いて来る。 「はい、これ」 と、沙織は、孝夫の横にいた大介に、小さな箱を渡す。 箱の中には、カブト虫とクワガタ虫が数匹、入っていた。 「これ、どうしたの」 孝夫が聞く。 「夜になると、家の明かりに飛んで来るの。昨日、息子さんに捕ってあげるって言っていたから、私があげようかと思って」 「ありがとう。息子も、喜んでいますよ」 大介は箱の中に手をいれ、カブト虫やクワガタ虫をつついて遊んでいた。 「ありがとう、は?」 と、孝夫が言うと、 「ありがとう」 と、大介は恥ずかしそうに言った。 「これから、どこかにお出かけですか」 孝夫は沙織に言った。 「ちょっと、お買い物に」 「そうですか。気をつけて」 沙織は、大介に手を振って、歩いて行った。 大介も、沙織にバイバイをした。
大介を連れて家に帰ると、 「買い物に行こう」 と、美香が言った。 「上の沙織さんと偶然、会ったけど、沙織さんも買い物に行くと言っていたよ」 と、孝夫は言った。 「そう。だったら、会うかもしれないわね」 美香は言った。 孝夫と美香は、大介を祖父母に預けて、車に乗った。 一番近くのスーパーマーケットまでは、車で約十分である。 田舎道を走り、スーパーマーケット正面の駐車場に車を置いた。 店の中に入り、昼食と夕食用の食材を買うことにする。 食料品売り場を歩いていると、沙織も、カゴを手にして歩いていた。 「やあ、こんにちは」 と、再び、挨拶をする。 「先程は、どうも」 孝夫は言う。 「お子さんは?」 「家に置いて来ました」 「クワガタとカブトは、喜んでくれましたか?」 「もちろんです。今頃、家で遊んでいると思いますよ」 沙織も食材を買いに来ていた。 「今日の御飯ですか」 美香が聞いた。 「はい。今日の分と明日の分を」 「買い貯めですか。よかったら、夕食でも、家に食べに来ませんか?」 「いいですか? それは、嬉しいです」 沙織は喜んでいた。 一緒に買い物をし、一緒に家に帰る。 「それでは、また、夜に」 美香はそう言って、沙織に手を振る。 沙織も手を振ると、山道を登り、自分の家に帰って行った。
その日、大介は一日、カブト虫とクワガタ虫で遊んでいた。 余程、嬉しかったらしい。 孝夫は、午後から昼寝をして過ごす。 たまの休日、のんびりと過ごす。 午後の六時前、 「そろそろ晩御飯だから、上の沙織さんを呼んで来て」 と、美香が言った。 孝夫は寝転んでいた体を起こし、家を出て、山道を上がる。 夏なので、まだ日が高い。 日が暮れるのは、午後の七時も過ぎた頃である。 山道を登りかけたところ、途中に人がいるのが見えた。 老婆である。 年は七十くらいだろうか。 おぼつかない足取りで、山道を登っていた。 「大丈夫ですか」 と、孝夫は声をかけた。 老婆は足を止め、後を向く。 「この上にある家に行くのですか」 孝夫は聞いた。 「はい」 と、老婆は頷く。 「沙織さんの、お知り合いですか。僕も、その家に行くところです」 「そうですか。沙織の知り合いですか」 「よかったら、背中を貸しましょうか」 「それは、ありがとうございます」 孝夫は、老婆をおんぶした。 老婆は、小さくて軽い。 「親切なお方ですね。沙織とは、どういうお知り合いですか」 「僕は下の家に住んでいた美香の夫です。孝夫と言います」 「ああ、美香ちゃんの。もう美香ちゃんも、結婚をする年なのね」 「美香のこともご存知ですか。この近所の方ですか」 「はい。この上の家は、私の家でして」 「え? 上の家は、沙織さんのおばあさんが暮らしていた家だと聞きましたが」 「私が、沙織の祖母です」 孝夫は驚く。 「沙織さんのおばあさんは、亡くなったと聞きましたが」 「そうですか。亡くなったと」 そのまま、家の前にたどり着いた。 孝夫は老婆を背中から下におろした。 「ありがとうございました」 老婆は丁寧に頭を下げると、家に向かって歩いて行く。 玄関まで行ったところで、老婆はまるで、そのまま、家の中に入るように姿を消して行った。 孝夫は茫然とそれを見ていた。 目の前で起こったことが、どうも信じられなかった。 孝夫は、我を取り戻し、老婆の消えた玄関に歩く。 「こんばんは」 と、声をかけた。 中から、沙織が出て来る。 「あの、晩御飯が出来そうなので、食べに来ませんか」 孝夫は言った。 「ごめんなさい。今日はちょっと、行けなくなってしまいました」 沙織は言う。 「おばあさんのことですか」 孝夫は聞いてみる。 沙織は驚いた表情をした。 「なぜ、わかるのですか」 「いいえ。別に」 孝夫は、はっきりとしたことは言わなかった。 「じゃあ、また今度」 孝夫はそう言って、沙織と別れ、山道を下りた。
孝夫が家に戻ると、 「あれ? 沙織さんは」 と、美香が言った。 「ちょっと、用があって来られないそうだよ」 と、孝夫は言う。 老婆のことは、美香には話さなかった。 誰にも話さない方がいい事のように思えた。
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