月末に洋子が辞めて、翌月の初めから、片岡は一人で店番をすることになる。 一通りのノウハウはマスターしたので、仕事に不安はない。 店に来る客に、次々と煙草を売って行く。 煙草を買った客の中には、店舗の隣の喫煙室でそのまま煙草を吸う人もいた。 そのような客の相手をするのも、片岡の仕事の一つだった。 店舗の中から右側の扉を開けると、そこが喫煙室である。 一人の中年の男が煙草を買い、そのまま、喫煙室に入った。 男はそこで、買ったばかりの煙草を開け、その中の一本を口にくわえて、火をつけた。 「今日は、お仕事はお休みですか」 片岡は、男に声をかけた。 男は普段着を着ている。 今日は水曜日である。 「僕は大工で、今日は雨だからね」 確かに、今日はかなりの雨が降っている。 商店街にはアーケードがあるので、雨降りは関係ない。 「大工ですか。では、家を建てたりしているのですか」 「まあね。それが仕事だから」 男は一本目を吸い終わると、すぐに二本目をくわえて、火をつけた。 男は、美味そうに煙草を吸う。 「煙草は、健康に悪いといいますが」 「そうだな。世間一般はそう思っているし、医学的な検証も進んでいる。でも、僕の曽祖父は、煙草を吸っていても、九十五歳まで健康に生きたよ。煙草の害には個人差がある」 「自分は大丈夫だというわけですか」 「それは、わからない。だが、自分のことは、自分で責任を取る」 男は、話題を変える。 「君は新顔だけど、煙草は吸わないのか」 「僕は吸いません」 「やはり、健康に悪いからという理由か」 「そうですね。そういうことになります」 「それでは、君は、自分は吸わないけど、健康に害のあるものを他人に売っているというわけか。心苦しくないのか」 「別に、違法行為をしているわけではありませんから」 「そうだよな。だが、半年後には、煙草の販売は違法になる。この店も、その時には閉店だな」 「そうですね。また、新しい仕事を探さないと」 男は、結局、一箱全てを吸い終わるまで喫煙室にいた。 男の名前は宮崎という。 この店の常連のようだった。
煙草を買いに来る客の中には、若い女性もいた。 女性が煙草を吸うというのは、片岡は個人的にあまり好きではない。 偏見だろうかと思うが、そう感じるのだから仕方がない。 もちろん、口に出しては、言ったりしない。 その程度の常識は、持ち合わせていた。
よく煙草を買いに来る若い女性が一人いる。 いつもは、煙草を買うとそのままどこかに行ってしまうのだが、その日は、喫煙室に入り煙草を吸い始めた。 結構、かわいらしい女性で、煙草はあまり似合わないと、片岡は思った。 「この辺りにお住いですか」 片岡は、女性に話しかけてみる。 「いいえ。家はこの近くではないのですけど、いつも、仕事でこの辺りに来るもので」 「失礼ですが、お仕事は何を」 「生命保険の外交員です」 「生命保険の外交員が、煙草を吸ってもいいのですか」 「会社では禁止されていますけど、内緒で」 「でも、匂いが残るでしょう」 「だから、これを」 女性は、煙草専用の匂い消しを持っていた。 スプレーのひと吹きで、煙草の匂いが消えるという優れものである。 もちろん、店舗でも販売をしていた。 煙草と一緒にそれを買う人も多い。 「そこまでして、煙草が吸いたいのですか」 「そうね。やっぱり、ニコチン中毒なのかな」 「半年後には、煙草の販売が全面禁止になりますが、どうするつもりです?」 「病院にでも通って、禁煙をするしかないわね」 「医者に、喫煙が治せるのですか」 「色々と、治療法があるみたいですよ。半年後には、私も真剣に考えないとね」 煙草には、強い習慣性があるのは常識である。 禁煙に失敗をしたという話は、よく聞く。 半年後に煙草の販売が禁止になれば、当然、煙草を習慣的に吸う人は困るだろう。 国として、何か補助があるのかとも思うが、今のところ、そういう報道は何もない。 「あなたは、煙草は吸わないの」 「はい。僕は吸いません」 「いいわね。吸わないなら、吸わない方がいいと思う」 「お客さんは、なぜ、煙草を吸っているのですか」 「昔、好きだった人が吸っていたのよ。それで、真似をしたくなって」 「それで、それからずっと、というわけですか」 「そうね。馬鹿だったわよ。でも、結局、私も煙草が好きなのかなと思う」 女性は二本、煙草を吸い終えると、喫煙室を出て行った。 また、仕事に戻るのだろう。
|
|