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作品名:ある老人の話。 作者:三日月

第2回   2
 広子は、朝の十一時に家に来る。
 そして、さっそく昼食の準備をし、昼食を食べてから、掃除や洗濯にかかる。
 掃除、洗濯が終わると、しばらく休憩をし、時には買い物に出る。
 午後の四時過ぎから夕食の準備に取り掛かり、広子は午後の五時までの仕事である。
 午後の五時過ぎに、耕三は広子の作ってくれた夕食を食べる。
 広子は、プライベートということで、耕三の夕食にも付き合ってくれた。
 優しく、思いやりのある人である。
 広子は、時折、耕三を連れて外に出た。
 年寄り扱いをされることは嫌いだったが、あまり文句は言わないことにしている。
 口うるさいのもまた、老人の証拠である。
 そうは、思われたくないと思っていた。

 散歩をしながら、広子の身の上話を聞いた。
 広子の両親は、すでに他界している。
 夫とは十年前に離婚をし、二人いた子供のうち、一人は夫が、もう一人は広子が引き取って育てているということだった。
「苦労をしているようだね」
 耕三は言った。
「たいしたことではありませんよ。ただ、経済的には、ちょっと」
「お金のことは、心配しなくてもいい。必要なら私が何とかしてあげよう」
「いいえ。おじいちゃんの世話になるわけにはいきません。でも、お給料は、しっかりと頂きますよ」
 広子はそう言って笑った。
 広子は、耕三が一億円に近い貯金を持っていることを知らない。
 敢えて話す必要もないので、耕三は黙っている。

 お金は全て銀行に預けてある。
 生活費は、いつも一度に十万円をおろすことにしている。
 お金が無くなれば、銀行に出かけて行く。
 銀行までは少し距離があり、歩いて行くことはできない。
 銀行に行く時はいつもタクシーを呼んだ。
 広子が家に来るようになってからは、広子に任せても良かったのだが、口座に預金されている大金を彼女に見せるわけにはいかなかった。
 お金は、人を変えることがある。
 広子にも悪い影響を与えないとは限らない。

 広子の給料は、広子に現金を手渡しすることに決めていた。
 その分のお金は、いつも月末におろして来る。
 広子が、
「銀行に行くなら、車で連れて行ってあげましょうか」
 と、言ってくれる。
 が、耕三は、それを断り、いつもタクシーだった。
 ちょっと、警戒が過ぎるのかとも思うが、いつもの習慣なので、そうしている。
 その日、耕三は広子が掃除をしている最中に銀行に出かけた。
 広子に渡す給料と、自分の生活費とをおろして家に帰る。
「はい、今月のお給料です」
 と、耕三は、広子に給料を渡す。
「ありがとうございます」
 と、広子はそれを、いつものようにポケットの中に座った。

 広子は、土曜日と日曜日は家に来ない。
 週に二日は休むことになっている。
 日曜日の朝、重雄がぶらりと家に来る。
「耕三さんは、遺産相続のことなど、考えていますか」
「いや。何も」
「耕三さんのところは、奥さんが亡くなって、相続人は慎太郎くんだけですよね。相続で揉めることはないですか」
「重雄くんのところは?」
「私のところは、女房が健在ですし、子供が三人います。相続には、揉めるでしょうね」
「遺言でも書けば」
「それは考えてはいますが、誰にどう分けたものかと」
 重雄は悩んでいるようである。
 重雄にどの程度の財産があるのか知らないが、自分の死後、相続争いを起こさせたくないという気持ちはわかる。
 耕三も、そろそろ、自分も死後のことを考えておくべきだろうと思った。
 八十歳を超えれば、いつ死んでもおかしくはない。

 耕三の財産は、貯金が一億円近くに、後は、家とその家が立っている土地である。
 このまま耕三が死ねば、その財産は全て、息子の慎太郎のところに行くことになる。
 それはそれで、不満はない。
 しかし、慎太郎は、銀行で働いていて、高額の給料をもらっている。
別に生活に困っているわけではない。
 どうせなら、自分の財産は、世のため、人のために役に立てたいものである。
 慈善事業に寄付をするのもいいかもしれない。
 しかし、自分のお金がどう遣われるのかわからないのは、ちょっと、面白くない。
 できれば、自分の死後も、自分の思い通りに、お金を遣いたいものである。

 それから毎日、耕三は頭を悩ませた。
「何を考えているのですか」
 と、広子が言う。
「うん。お金の遣い道を」
「遣い道に困るほど、お金があるのですか」
「まあ、先も短いことだし、多少の財産をどうしようかと」
「子供さんに、残してあげればいいではないですか」
「子供に渡しても、面白くない。どうせなら、もっと、身のあることに遣いたい」
「寄付をすればどうですか」
「それは、考えてみた。でも、寄付をしてしまうと、自分の手を離れてしまうようで、また面白くない」
「では、誰か、自分の好きな人に、全て相続してもらえばいいじゃないですか」
「それが一番だとは思うけど、好きな人といっても、これといって心当たりがない」
「では、私にください。私なら、大切に遣いますよ」
「考えておこう」
 広子は耕三のために、真面目に、献身的に働いてくれる。
 広子が、死ぬまで傍にいてくれるというのなら、財産を相続させても惜しくは無いかと思う。

 耕三は、やはり、遺言を書いておこうと思った。
 部屋で机に座り、紙を前にしてペンを持つ。
 何を、どのように書こうかと考える。
 とりあえず、ペンを動かしてみた。
「私の財産は、本多広子さんに全て相続してもらいます」
 一行で終わってしまった。
 これでは、どうも味気ない。
「私の最期を看取ってくれた人に財産を譲ります」
 これでは、誰に財産が行くのかわからない。
「私のことを一番、思ってくれた人に財産を譲ります」
 これは抽象的である。
 そもそも、誰を対象にしているのかわからない。
 他にもいくつか書いてみたが、どうも納得の行くものが出来なかった。
 やはり、自分の気持ちを文章にするのは難しい。
 耕三は遺言を書くのをあきらめることにした。


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