柏木真一は中学三年の時、晴美のいる中学校に転校をしてきた。 その時は、互いに特別な感情は持っていなかったらしい。 高校は、同じ公立高校に進学をし、二年生の時に再び、同じクラスになった。 晴美が真一のことを意識し始めたのは、その頃のことらしい。
真一は頭も良く、運動神経も良かった。 成績は学年の中でも十番に入る程で、部活では、野球部でエースをしていた。 女子生徒からの人気も高かったらしい。
当時はまだ、真一も晴美も、付き合っている相手はいなかった。 互いに、告白をされることはあったが、全て、交際は断っていた。 晴美の場合は、男にあまり関心がなかったということもある。 男の人を好きになったのは、真一が初めてだった。
晴美は、真一に告白をした。 勇気のいることだったが、当時の仲の良かった同級生に協力をしてもらう。 放課後、高校の近くにあった公園に真一を呼びだした。 晴美はそこで真一に告白をする。 「私と、付き合ってもらえませんか」 「いいですよ。僕でよければ」 真一は、あっさりと承諾してくれた。 晴美が喜んだのは、言うまでもない。 後で聞けば、真一は中学の時から、晴美に片思いをしていたということである。 一目惚れだったらしい。
交際は順調に進んだ。 高校二年、三年が過ぎ、大学は同じ東京の大学に進学をした。 大学四年間も、順調に交際をする。 そして、大学卒業後、真一は東京で就職をし、晴美は実家に帰った。 「なぜ、東京に残らなかったの」 と、哲夫は聞いてみる。 「東京で仕事をする気にはならなかったから。それに、地元が好きだったし、地元で暮らしたかったからかな」 晴美は言う。 「柏木くんは、反対はしなかったの」 「彼は、私のすることに反対はしない。でも、寂しいとは言っていた」 「彼とは、いつまで付き合っていたの」 「三十歳の時までよ。私たちは、結婚をするつもりだったから」 「なぜ、結婚をしなかったの」 「それは、わからないけど。やっぱり、彼の仕事の都合と、タイミングかな。彼は東京で仕事をしているし、将来は転勤も多い仕事だったから、私にはついて行く自信がなかった。それで、ずるずる、三十歳まで来てしまったというところかな。彼には、悪いことをしてしまったと思っている。彼のことを好きだと言う女性も多かっただろうし」 「それは、晴美の場合も同じだと思うよ。言い寄って来る男は多かったと思うけど、今まで彼一筋で来たわけだから」 「私はいいのよ。彼と一緒で、幸せだったからね。それに、彼と別れたおかげで、哲夫にも会えたし」 「俺と、柏木くんと比べたら、どちらがいい男だと思う?」 「比べることはできない。柏木くんは柏木くんで、哲夫は哲夫だから」 「じゃあ、柏木くんと俺の、どちらが好き?」 「それは、わからない。比べることはできないから」 晴美は、はっきりとした答えを出さなかった。 まだ、柏木真一に未練があるのかと、哲夫は思った。
それから半月後。 晴美がふと、意外なことを言った。 「柏木くんが、こっちに帰って来ているみたいなの。会いに行ってもいい?」 「会って、どうするの」 哲夫は聞き返す。内心、動揺していた。 「別に、どうもしない。話をするだけよ」 「俺も、会ってみたいな。連れて行ってくれないか」 「いいわよ。一度、紹介をしておきたいと思っていたの」 晴美は、真一と連絡を取った。 次の土曜日に、井原市内のレストランで、一緒に夕食を取ることになった。 哲夫は、興味半分、不安が半分だった。
約束の日、哲夫と晴美は車で待ち合わせ場所であるレストランに出かけた。 予約席に座り、真一が来るのを待つ。 間もなく、洒落た男が、店内に姿を現した。 「来た。彼がそう」 晴美は言い、男を呼んだ。 「初めまして。柏木です」 真一は言った。 「座って」 と、晴美は真一に言った。 晴美は真一に哲夫を紹介する。 晴美が結婚をしているということは、すでに知っているのだろう。 真一は自分の近況を話し、晴美の近況を聞く。 真一は、今は札幌の支店にいるということだった。 仕事は、かなり忙しいらしい。 晴美は結婚生活を話す。 真一はそれを、頷きながら聞いていた。 時折、哲夫も、真一と言葉を交わす。 なかなかの好印象だった。 真面目で、言葉遣いもしっかりしている。 なかなかの二枚目で、身長も結構、高い。 これで、運動神経も良く、頭もいいとなれば、女にもてないわけがない。 晴美が好きになった理由もわかる気がした。
食事を終え、三人はレストランを出た。 真一とはそこで別れるつもりだったが、真一が、そこで意外なことを言う。 「ちょっと、哲夫さんと二人で話がしたい。晴美は、どこかに行っていてくれないか」 晴美は怪訝な顔をしながらも、先に車のある駐車場に言った。 残された哲夫も、少し戸惑う。 晴美が見えなくなると、真一は一息ついた。 そして、 「哲夫さんにお願いがあります」 と言うと、哲夫の足元にひざまずく。 「晴美を、僕に返してくれませんか。お願いします」 真一は哲夫に土下座をした。 哲夫は驚く。 「顔を上げてよ」 と、哲夫は真一を立たせる。 真一はもう一度、深く頭を下げた。 「悪いけど、晴美を君に渡すことはできない。もう、遅いよ」 「遅いのは、わかっています。僕の決断が、遅かった。結婚をするのがわかっていれば」 「後悔をしているという訳か」 「はい。晴美と別れたことは、ずっと後悔していました」 「いい女だよ、彼女は。僕はもう、絶対に手放さない。例え、晴美が君のところに行きたいと言ったとしても」 「彼女の意思は?」 「関係ない。これは僕の意思だから」 申し訳ないが、それは出来ない。と、言い残し、哲夫は真一と別れた。 車に戻ると、晴美は車の隣で待っていた。 「何の話だったの」 「いや。別に、何でもないよ」 哲夫は晴美を助手席に乗せると、自分は運転席に乗り込む。 駐車場から出る時、真一はまだレストランの前にいた。 晴美は、真一の方に小さく手を振る。 真一は笑顔で、それに手を振り返した。
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