光男は、その夜、和樹を相手にお酒を飲んでいた。 晩酌をするのは、和樹の日課らしい。 光男は、それほどアルコールは好きではないが、全く飲まないわけでもない。 和樹が妻の裕子の思いを知っているのかどうか、確かめたいとも思ったが、そこまでは赤の他人の入ることでもないだろう。 余計な世話はしない方がいいのかもしれない。 「和樹さんは、子供は欲しいと思っていますか」 と、だけ聞いてみる。 「それは、もちろん、欲しいとは思っているよ。でも、いなければ、いないで構わないとも思っている」 「それは、奥様には、話されましたか」 「もちろん、裕子にも話はしてある。でも、裕子は子供を欲しがっているようだ。しかし、こればかりは、運を天に任せるしかない」 和樹はそう言って笑った。 裕子はその和樹の考えをどう思っているのだろうか。 和樹は裕子が子供を産めない体だということを知っているのだろうか。 色々と疑問は浮かんだが、光男は、それ以上は踏み込まないことに決めた。 踏み込んだところで、自分が何とかできる存在ではないことはわかっていた。
そろそろ、この町を出ようかと思う。 いつまでも、世話になってばかりもいられない。 「明日には、また旅に出ようと思っています」 光男は、裕子に言った。 「そうですか。良ければ、また遊びに来てください」 「色々とお世話になりました」 「いいえ、何のお構いもできなくて」 「あまり、根を詰めない方がいいですよ。神様など、いるのかどうか、わかりませんから」 「いいえ。神様は、必ずいます。私の願いも、叶えてくれるはずです」 裕子は、確信を持っているようである。 何がそれほどの確信を持たせているのか、光男にはよくわからなかった。 「今日もまた、神社には行くのですか」 「はい、もちろん。子供を授かるまでは、続けるつもりです」 「どうして、そこまで、こだわるのですか」 「私の夢だからです。子供は、私の夢です」 なぜ、裕子が、そこまで子供にこだわるのかもわからない。 しかし、夢だというのなら、叶えてあげたいというのも自然な感情だった。 午後になると、裕子は、いつものように神社に向かって出かけて行った。 光男は、今日は家に残る。 広い家に、光男は一人。 光男は、何もすることがないので、縁側から庭を眺める。 しばらく、ぼんやりとしていると、庭の木の陰から、一人の子供が姿を現した。 光男は驚く。 「君は誰? どこから入ったの?」 「僕は、神様だよ。君の願いを叶えてあげる」 「神様? まさか」 目の前の子供は、どう見ても、普通の男の子である。 とても、神様には見えない。 「冗談はやめろ。子供でも、許さないよ」 「冗談じゃないよ。僕は神様」 子供は、光男の前に歩いて来る。 「何か、願い事を叶えてあげようか?」 「僕の夢はいいよ。叶えるなら、裕子さんの夢を叶えてあげてくれ」 「子供が欲しいという夢でしょう。わかっているけど」 「わかっているなら、叶えてあげてくれ」 「それは、できない。僕は、彼女には会えないから」 「どうしてだ。彼女は今、神社にいるはずだから、行ってあげればいい」 「神社には、行けないよ。あそこは、僕のいる場所じゃない」 「ならば、彼女が帰って来るまで、ここで待てばいい」 「それも出来ない。僕はもうすぐ、消えてしまうことになっているから」 「なぜだ」 「なぜだか知らないけど、そう決まっているから」 子供の言うことをどこまで信じればいいのかわからないが、光男は、相手をしてみる。 とりあえず、子供を裕子さんに与えてくれと、子供に話した。 子供は、頭をひねる。 そして目を閉じ、しばらくすると、子供がわずかに輝き始めた。 ぼんやりとした、淡い光。 それが、次第に強くなる。 光男は、あっけに取られて、それを見た。 子供は光の中に消えて行く。 光男が茫然としていると、裕子が家に戻って来た。 「どうしたのですか」 裕子は、光男に言った。 「いえ……、今、ここに神様が」 「神様? 本当ですか」 「はい。和樹さんの言った通り、光輝く子供が、今、ここに」 「それで、どうしたのです?」 「裕子さんが子供を授かるように、お願いをしておきました」 「ありがとうございます」 裕子は、深く頭を下げた。 「でも、叶えてくれるかどうか、わからないから、あまり期待はしないで」 「はい」 翌日、光男は予定通り、川島夫婦に別れを告げて、家を出た。 駅のホームで、電車が来るのを待つ。 光男には、一つ、気がかりがあった。 それは、和樹の言っていた「神様に出会った人は死ぬ運命にある」という話である。 それが真実なのかどうか、わからない。 光男は、到着した電車に乗った。 また、あての無い旅を、しばらく続けるつもりである。
その翌日、一つのニュースが全国に放送された。 長野で電車が脱線、転覆事故を起こし、多数の乗客が死傷したということである。 その死亡者の名簿の中に、高畠光男の名前があった。
そして、川島裕子は間もなく、子供を身ごもった。 医者からは、奇跡的だと言われたそうである。
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