しかし、光男はしばらくこの町に留まることになった。 「部屋が空いているから、泊まっていけばいい」 と、和樹が言ったので、光男は、母屋の西の隅の部屋に泊まることになった。 和樹は、毎朝、仕事に出かけて行く。この町にある建築会社の重役をしているらしい。 裕子は専業主婦のようである。毎日、朝から家事をこなす。 「何か、お手伝いをしましょうか」 と、光男は言ってみるが、特別、何もすることはない。 広い庭を散歩してみる。 手入れの行きとどいた植木が見事だった。 裕子は、昼を過ぎると、毎日出かけて行く。 光男が出あった上村神社に行っているようだった。 「毎日、神社で何をお祈りしているのですか」 と、光男は裕子に聞いてみる。 「これは、夫には内緒ですが、実は、子供を授かりたいと思っています」 「子供なら、その内に出来ると思いますけど」 裕子は首を振る。 「私は、子供の産めない体ですから」 「え? それなら……」 「だから、神様にすがるのです。神様は、絶対に、子供をさずけてくれるはずです」 「信じているのですね。神様のこと」 「もちろんです。そのために、この町に来たのですから」 「でも、夫の和樹さんの話によれば、神様を見た人は、亡くなる運命にあるとか」 「それは、わかりません。でも、子供を授けてくれるのなら、私は死んでもいいと思っています」 「しかし、それでは、和樹さんが悲しみますよ」 「そうでしょうか。でも、やはり、子供は欲しいです」 「気持ちは、わかりますが」 それからも、毎日、裕子は神社に通った。 光男は、裕子のことが少し心配になる。 あまりにも思いつめた感覚は、どこか異常でもある。 光男は、裕子について神社に行ってみることにした。 まさか、自分が神様に出会うという奇蹟が起こるわけもないだろうと光男は思う。
その日の午後、光男は裕子と一緒に家を出た。 上村神社に向かう道を歩く。 「神様は、上村神社に居るということでしょうか」 光男は聞いてみる。 「わかりません。神様は、この町全体に宿るということですが、神社はこの町には上村神社の一つだけですし、一つの象徴だと思います」 「この町全体に神様が宿るということは、別に、神社に行かなくても、どこでお祈りしてもいいということですか」 「基本的には、そうだと思います。でも、気持ちの問題ですから」 丘の上の神社の境内に立つ。 すると、そこに、一人の白髪の老人がいた。 裕子と光男は、思わず、足を止めて、目を見張る。 まさか、神様が現れたのではないかと、光男は思った。 その老人は、裕子と光男を見て、にこりと微笑む。 「やあ、あなたは、川島の家の嫁だそうですね。私は、この近所の者で、大原といいます」 老人は言った。どうやら、神様ではないらしいと光男は理解する。 「時折、この神社に登って行くところを見かけますから、熱心に、何をお願いしているのだろうと思いまして」 「それは……」 裕子は、言葉につまる。 「これは、悪かった。神様への願い事は、他人に話すべきものではない。心の中に秘めておけばいいものです」 老人はそう言うと、社に向かって手を合わせた。 「私は、もはや先の短い老人ですが、これでも、願い事があります。それで、こうやって、私も時折、この神社にお参りに来るのですよ」 「その願い事というのは、何ですか」 光男は聞いてみる。 「私の場合は、すでに亡くなっている妻に、また会いたいという単純なものです。叶えられるものではないということは、わかっていますが」 「それでは、なぜ、お参りを」 「ここは、神様が宿る場所だと言われていますから、万が一という思いはあります。もちろん、気休めだとは思っていますが」 「願いが叶うといいですね」 「私たち夫婦には、子供がいなくてね。もちろん、孫もいない。若い時はそれでもよかったのですが、年を取ると寂しいものです。ましてや、妻に先立たれて、一人になってしまうとね。何とも言えないものです」 「やはり、子供がいないと寂しいものですか」 裕子が言った。 「いないよりは、いた方がいいと思いますよ。あなたのところには、子供は?」 「私のところには子供はいません」 「ならば、早くつくった方がいい。できることならばね」 「はい」 裕子がどういう思いで老人の言葉を受け取ったのか、光男は察した。 やはり、子供が欲しいと思っているのだろう。
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