明は、紀夫に近づいた。 そして、二人でベンチに、少し距離を置いて座る。 「花村の、彼氏ですか」 明は言った。 「結婚を前提に、付き合っているつもりです」 と、紀夫は言う。 「俺に、何か、言いたいことでもあるのですか」 明は言った。 「響子が心配をしているようだから。君のことを」 紀夫は言う。 「昔から、世話焼きな女ですよ。彼女は」 明は言う。 「なぜ、ホームレスに? まだ若いから、他に道はいくらでもあると思うけど」 「確かに、道は探せば、いくらでもあると思いますが、できるだけ、世間と関わらないようにしようと思えば、この道が一番ですよ」 「苦しくないですか。今の状況は」 「別に。むしろ、以前よりも気楽です」 「俺は君に、どうこうしろとは言わないし、また、言える立場でもないと思います。ホームレスという生き方が、悪いとも思ってはいません。人には、それぞれ、自分に合った生き方があるだろうし、ましてや、望んで選んだ生き方を、他人がどうこう言う権利もないと思っていますから」 「なかなか、ものわかりがいい人ですね」 「さあ、それはどうだか……」 紀夫は一つ呼吸を置き、話を変える。 「響子とは、学生の頃からの友達と聞きましたが」 「学部が同じでしたから、そこで知り合ったのです。ゼミも同じでしたし」 「響子が君のことを、これほど気にかけるということは、相当、親しかったということですか」 「花村は話しませんでしたか。昔は、付き合っていたこともあります」 「やはり、そうですか。そうではないかと、思っていました」 「別に、今では、何とも思っていないですから、安心してください。もっとも、相手がホームレスでは、どうにもならないでしょうけど」 「いや、響子が好きだった人のことは興味がありますよ。もちろん、響子は、渡しませんけどね」 二人は、どちらからともなく笑った。互いに似ているのだろうかと明は思う。 しかし、紀夫はすぐに真顔になった。 「響子のことは、まだ好きですか?」 紀夫は明に聞く。 明は、少し考えた。 「好きといえば、好きですよ。でも、誤解をしないでください。もう、恋愛感情ではありませんから」 「響子のことが好きなら、響子の期待に応えてくれませんか。そうすれば、響子も満足をしてくれると思います」 「俺に、響子のために生きろと?」 「このまま、君がホームレスとしての生活をどこまで続けるのかわかりませんが、きっと響子は、君のことを心配し続けます。響子の心の負担になることは、できれば止めてもらいたい。それが、俺の希望です」 紀夫はそう言って、ベンチから立ち上がる。 「俺の言いたいことは、これで終わりです。考えてみてください」 紀夫は、そう言うと響子のいる方に歩いて行った。 明は、しばらくベンチに座り、ぼんやりと空を眺めていた。
噴水の近くにあるベンチに座っていると、紀夫が歩いて来た。 「もう、終わったの?」 と、響子はベンチから立ち上がる。 「話したいことは、話したよ。後は、彼の判断次第だ」 「前向きに、生きてくれそう?」 「さあ、それは、俺にはわからないよ。でも、まあ、時々、様子を見てやるのもいいかもしれない。そのうちに、考えも変るだろうし」 「じゃあ、私、高島くんのこと、気にかけていてもいいのね」 「別に、構わない。でも、あまり干渉をし過ぎないように。その方が、彼のためにもいいと思う」 紀夫はそう忠告をした。 響子は、それを聞いて、頷いた。
それから、秋が来て、冬になった。 気温は下がり、ホームレスにはつらい時期だろう。 響子は、時折、明の様子を見に出かけた。 寒さをしのぐため、部屋にも誘ってみたが、明はあれ以来、一度も部屋に来ることはなかった。 ある冬の日、響子は御握りを作り、明のところに持って行った。 「ありがとう」 と、明は素直に受け取り、それを食べた。 「岸田さんとの結婚は何時なの?」 明は響子に聞いた。 「うん、まだ正式には決まっていないけど」 響子は言う。 「幸せになれよ」 と、明は言った。 「大丈夫。今でも十分、幸せだから」 と、響子は答える。 その夜は雪になった。 響子が翌朝、目を覚まし、部屋のカーテンと窓を開けると、外は一面、白い雪で覆われていた。 この辺りで雪が積もるのは珍しい。 年に一度、あるかないかの現象である。 明はどうしているだろうかと思った。雪に中、公園で寒さをしのいでいるに違いない。
その日、三人のホームレスが凍死した。 警察が、三人の身元の調査をした。 響子は、仕事の最中、警察からの呼び出しを受け、遺体の確認をさせられた。 三人のホームレスの中に、高島明の遺体もあった。 響子は愕然とし、膝を落とす。 「家族と連絡を取りたいのですが」 と、警察に言われて、響子は明のことを話した。 後悔と寂しさが、響子の中に襲って来た。
その夜、響子は紀夫の前で泣いた。 紀夫もまた、無言で響子を抱きしめるしかなかった。 これが運命だとは言えなかった。 高島明がそれを望んでいたのかどうか、今ではわからないことである。
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