護衛艦は九州の東岸を南下し、大隅、薩摩の半島の沖を回る。 熊本南部の沖あいまで来たところで護衛艦は停止し、小型の漁船と接触をした。 若林に別れを告げ、橋本と和夫はその漁船に乗り込んだ。漁船の船長は日本政府への協力者で、橋本と和夫を、熊本南部にある小さな漁港から密かに九州に上陸させた。 「幸運を」 と、漁船の船長は言った。 「ありがとう」 と、橋本は答える。 橋本は、船長が用意してくれていた車に乗り、熊本の市内に向けて車を走らせた。 九州独立政府は、熊本市に存在している。そして、九州独立軍の総司令部も、熊本にあった。 熊本市内に入ると、橋本と和夫は、ある住宅地の一軒家に入った。そこは、空き家になっていたのを、ある人物が買い取ったものである。ある人物というのも、日本政府の協力者である。 和夫は、九州の中に、日本政府への協力者が意外に多いことを知った。 生活に必要なものは、家の中に全てそろっていた。そして、女性が一人、この生活に加わることになる。 「矢口一美です。よろしくお願いします」 女性は言った。一美は、橋本と和夫の生活の面倒を見る役目である。それと、近隣住民へのカモフラージュでもあった。 その翌日から、橋本は一人で外出をするようになった。橋本は和夫に、 「あまり、不用意に外出はするな」 と、注意する。 家の中に残っていると、自然、一美と話をすることになる。 「矢口さんは、なぜ、このような仕事をしているのですか」 「なぜでしょう。運命とでもいうところでしょうか」 「怖くはありませんか」 「もちろん、怖いですよ。しかし、やらなければならない仕事でもあります」 「しっかりとした意思の持ち主のようですね」 「いいえ。それほどでも」 和夫は、一美から、九州独立政府の内情を、ある程度、知ることができた。 九州独立政府と独立軍は、日本との戦争に絶対の自信を持っているらしい。その独立軍の総司令官の立場にいるのが、井畑竜三である。井畑司令官の作戦指揮で、九州独立軍は日本の自衛隊を圧倒していた。 しかし、品川靖男が、九州独立軍にどういう影響を与えているのか、一美は知らないようだった。一美はあまり詳しいことは知らされていないらしい。 一週間が経ち、二週間が経った。橋本は毎日、外出をするが、事態はどう進展しているのか、あまり話してはくれなかった。 そして、三週間目に入ったある日から、突然、橋本が家に帰って来なくなった。橋本からの連絡が、全く途絶えてしまう状態になる。 「まさか、何かトラブルがあったのでは」 和夫は心配になったが、橋本がいなくなった今、どこにも連絡を取る術がなかった。ここは一美に頼るしかないのだが、一美もまた、決まった日にならないと、組織と連絡は取れないという。 「地下組織があるということか」 和夫は納得する。しかし、その組織全体がどれほどのものか、一美も知らないということだった。 しかし、一美自身、橋本が消えてから三日後、 「買い物に行って来る」 と言って家を出たまま、姿を消してしまった。 和夫は一人、家に残されることになる。 和夫は、どうしたものかと考えた。橋本が消え、一美が消えてしまったということは、自分の存在も、九州独立軍に知られてしまったという可能性も大きい。 このまま、この家に留まっていてもいいのだろうか。もしかすると、九州独立軍の兵士が自分を捕えに来るかもしれないと思う。 和夫は、橋本や一美が家に残したお金を持って家を出た。行くあてはないが、とりあえず歩く。しかし、しばらく歩いたところで、後ろから来た車が、和夫の隣に来てスピードを落とした。 和夫は、思わず、脇に避けて立ち止まる。すると、車もそこで止まった。 和夫は不審に思ったが、逃げることができなかった。車の後部座席のドアが開く。 そこから、スーツを着た一人の男が降りて来た。男は、和夫を見る。 「野村和夫さんですね」 男は言った。 「いいえ、違います」 和夫は嘘をつく。 しかし、男は、動じる様子はなく、和夫の肩をつかんだ。 「品川さまのところにお連れします。車にお乗りください」 男は、半ば強引に、和夫を車に乗せた。 車の中には、男の他に運転手が一人、居るだけである。 車は走り出す。 「品川というのは、品川靖男のことですか」 和夫は聞いてみる。 「そうです。あなたの幼馴染です」 男は答える。 「あなたは、何者ですか。品川とは、どういう関係なのです」 「それは、後でわかります。しばらく、我慢をしていてください」 車は市街地に入った。 熊本市の中心部のようで、しばらく行くと正面に熊本城が見えた。 城を右手に見ながら進み、ある白い建物の前で、車は止まった。 男は、和夫に、車を降りるように促す。 「ここは、どこですか」 和夫は車を降りると、男に聞いた。 「すぐにわかります。一緒に来てください」 男は、白い建物に中に入る。和夫も、後に続いた。 廊下を歩き、エレベーターに乗った。 男は、最上階である五階のボタンを押す。エレベーターの天井の隅には、監視カメラが付いていた。 五階でエレベーターを降りると、また廊下を歩き、一つの部屋のドアを男がノックした。 「野村和夫を連れて来ました」 男が言う。 「入ってくれ」 と、中から声がして、男はドアを開ける。 男と和夫は部屋の中に入った。部屋の中は、普通の住居である。生活感があり、そこで誰かが生活をしているのがわかった。右側にベッドがあり、左側に机があった。その机の手前にある椅子に、一人の男が座っていた。 「品川か」 和夫は言った。かなり身長が高いが、昔の面影が顔に残っている。 「やはり、来たか。思った通りだ」 品川は、椅子から立ち上がる。 「まあ、座れよ」 品川は、和夫を中央のソファーに座るように言った。 和夫はソファーに座る。一緒に来た男は、一礼をして部屋を出た。 「俺を殺しに来たのか」 品川は言う。 「なぜ、知っている。いや、そもそも、なぜ俺が熊本にいることがわかった?」 和夫は聞いた。 「俺には、未来が見える。信じられないと思うけど」 「未来が見えるって、どういうこと?」 「先のことが、わかるということだ。今日、野村がここに来ることもわかっていた」 「なぜだ。なぜ、未来が見える?」 「わからないが、高校生の頃、突然、未来が見えるようになった。それは、これまで一度も外れたことがない」 「もしかして、この戦争も見通していたということか」 「日本の自衛隊は、九州独立軍には勝てない。俺がいる限り」 「そういうことか。俺に品川を捕虜にするか、殺害しろという命令が出たのは」 和夫は、納得した。しかし、それは、不可能というものである。 「橋本さんと、矢口さんが消えたのも、品川の仕業か?」 和夫は聞く。 「その通り。彼らは今、ある場所に隔離してある。これまで、俺を目当てに暗殺者が何人か送り込まれて来たが、全て、身柄を確保した。俺を殺そうというのは、無理な話だ」 それは事実だろう。現に、橋本と一美は、何かをする前に消えている。 和夫は、自分の立場を考えた。そもそも、品川を殺そうとか、捕虜にしようという意識がそれほどあったわけではない。自衛隊に入ったのも、愛国心からではなく、単に他に職がなかったというだけの話である。九州が独立しようが、しまいが、和夫にはそれほど関心がない。 「俺の未来は、どうなるか、わかるか?」 和夫は聞いてみる。自分の進むべき道を、もし未来が見えるのなら、それに委ねてみるのもいいかと思う。しかし、品川は答えなかった。 「野村の未来はすでに決まっている。しかし、それは、俺には答えることができない」 「なぜだ?」 「それが、決まった未来だからだ。俺は、何も話さない。それが未来だ」 「じゃあ、俺はどうすればいい? お前を殺すのか。それとも、このまま帰るのか」 「それは、野村の意思に任せる。もちろん、野村がどういう判断をしようが、それは決まった未来だが」 和夫は、何もせずに、部屋をでることにした。自分には、品川は殺せない。それだけのことである。
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