九州が日本からの独立を宣言してから二年が経つ。九州独立軍と日本の自衛隊との戦争はこう着状態を迎えていた。 アメリカや中国、ロシアは「内政干渉はしない」という申し合わせの元、中立を宣言していた。日本政府は、九州の海上封鎖に乗り出している。しかし、その効果は、あまりないようだった。
戦争がこう着状態に陥ってしまった原因は一つ。緒戦で航空自衛隊の戦力が壊滅してしまったからである。 制空権は、九州独立軍に握られてしまった。独立軍は、その制空権を背景に、自衛隊に対して有利な戦争を続けていた。 しかし、九州独立政府は、本州、四国にまで、戦線を拡大する意思はないようで、積極的な攻勢には出て来ない。 それが、戦争がこう着状態の陥っている理由である。
野村和夫は、高校を卒業した五年前、自衛隊に入隊していた。世間は不景気で、就職先が無く、食べるために仕方なく自衛隊に入ったのである。 それから三年後、まさか、実際に戦場に出るとは思わなかった。自衛隊に入ったからといって、戦争を体験することはないだろうと漠然と思っていたのだが、それは、甘い考えだった。しかも、相手は同じ日本人である。 和夫は陸上自衛隊の一兵士として、最前線の戦場に参加した。下関に到着すると、すでに破壊されて二つに折れた関門海峡大橋を目にした。そこで、戦争を実感する。 和夫の所属する部隊は、いわば正面の主力軍だった。二万の兵士が関門海峡を渡り、九州に上陸する。しかし、その主力軍は、独立軍の空軍勢力と、独立軍の巧みな用兵により、大敗北を喫した。 主力軍は下関に撤退を余議なくされる。 空軍だけでなく、陸軍も、独立軍の戦闘指揮に圧倒されていた。 独立軍には、神がかりな参謀がいるらしいと、自衛隊の中で噂になる。しかし、その真偽は確かめようもなかった。
野村和夫は、下関の守備隊に配属される。丘の上に陣地を築き、野戦砲が配備される。 敵からの攻撃は、まるで無い。それどころか、敵の姿も見えない。 どことなく、張り合いの無い戦場だった。しかし、人を殺すような機会がなければ、それはそれで、安堵する。 そのまま、二年が経った。何の変化もないまま、現在に至る。 ここ二週間は、夜間の哨戒が続いていた。 午前七時に、次の部隊と交代する。 陣地の南に建てられている宿舎に戻り、軽く食事をして一眠りすることにした。 しかし、簡易ベッドの上で横になってから間もなく、和夫は隊長に起こされた。 「野村、ちょっと、来い」 野村は、眠い体のままで、隊長の後について宿舎を出る。 少し離れた場所にある本部の建物に入る。 守備隊の指揮を取る木下大尉が、部屋の中に立っていた。そして、もう一人、見たことのない男が、正面に立っている。 男は、軍服ではなく、背広姿だった。一見、軍人には見えない感じである。 「野村くんだね」 男は言った。 「私は、諜報部で仕事をしている若林という者だ」 「諜報部、ですか」 「主に、敵からの情報収集と、その分析を仕事にしている。一般兵士に、その存在はあまり知られていないだろう」 確かに、和夫は、諜報部に関することは何も知らない。一般兵士たちには、極秘の扱いなのだろう。 「諜報部が、私に何か」 「品川靖男という男を、知っているな」 若林は、意外な男の名前を言った。品川靖男は、和夫の幼馴染で、小学校の五年生まではいつも一緒に遊んでいた。しかし、六年生に上がる時、品川は九州の大分に引っ越しをしてしまって、それから連絡を取り合ったことはない。 「品川は、私の幼馴染ですが」 「しかし、品川が九州に引っ越しをしてからは連絡を取り合っていない。そうだな?」 「はい」 和夫は、久し振りに品川のことを思い出す。この状況の中、品川は九州で何をしているのだろうか。 「実は、野村くんには、明日から九州に潜入してもらい、この品川靖男に接触をして欲しいと思っている。できれば、この品川靖男を、ここに連れて来てもらいたい。それが不可能な場合は、暗殺して欲しい」 「暗殺ですか? なぜです」 「理由は話せないが、これは、命令だ。この命令に従えないのなら、拒否をしてもらっても構わない」 「私が拒否をすれば、他の誰かが行くことになるのでしょうか」 「それは、もちろん、そうだ」 「では、私が行きます。しかし、品川がどこにいるのか、今、何をしているのか、私にはわかりませんが」 「それは、案内役をつける。明日、紹介をするよ」 話はそれで終わった。 和夫は、特殊な任務を、請け負わされたことになる。 幼馴染を殺すことになるのか、それとも、無傷でこの場所に連れてくることになるのか。それは、自分の手腕にかかっている。 しかし、品川靖男のことを諜報部がどう捉えているのか気になった。何かの重要人物なのだろうかと思う。しかし、聞いても教えてくれることはないだろう。それが諜報戦というものであることは和夫もわかっていた。
翌日、和夫は若林の指示の通り、買いそろえられた普段着を着て、小型船に乗った。小型船は沖に泊められてあった護衛艦に横づけし、和夫はそこから護衛艦に乗り込む。 若林はすでに護衛艦の中にいた。そこで和夫は、一人の男を紹介される。 「橋本です。よろしく」 そう言った男もまた普段着だった。和夫よりも小柄で、少し細身である。 「これから先は、橋本が君の案内をする。野村くんは全て橋本の指示に従うように」 和夫は、若林からそう命令された。 和夫は橋本と同じ船室に入る。しばらくは、そこでくつろぐことができた。 「橋本さんも、諜報部の方ですか」 和夫は聞いてみる。 「いや、私は特殊工作部隊の人間だ。いわば、スパイだな」 「へえ、そうですか」 和夫はスパイの本物を見るのは初めてだった。無意識のうちに、橋本の顔をしげしげと眺めてみる。 「それほど、珍しいか」 「いいえ。そういうわけでは」 「これからは、君もスパイとして九州に潜入することになる。頑張ってくれ」 和夫には、そこで一つの疑問がわく。 「なぜ、一般兵士の私が、スパイの真似ごとをしなければならないのですか」 「それは、一つの賭けだ。実は、九州に送り込んだスパイの多くが、連絡を絶っている。恐らく、身分がばれて、独立軍に殺されたのだろう」 「それは、私も殺されるかもしれないということですか」 「その可能性も十分にある。しかし、一つの頼りは、君が品川靖男の幼馴染だということだ」 「品川靖男が、何か関係をしているのですか」 「これは、スパイの一人が連絡を絶つ前に伝えて来たことだが、品川靖男は九州独立軍の行動に大きな影響を与える立場にある人物らしい。そこで、君を利用して品川靖男を捕獲、または殺害しようという方策を諜報部は立てたというわけだ」 「どういうことですか。私と同じ年齢の一人の若者が、この戦争の鍵を握っているとでも言うのですか」 「詳しいことは話せないが、そういうことだと理解してくれてかまわない。しかし、くれぐれも勝手な行動は取るなよ」 橋本は念を押した。いかにも特殊部隊の人間らしく、小柄だが、威圧的だった。
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