それから数日後、門脇耕三が事務所に来た。 あいにく、広美は外出中で、博が、耕三の応対をすることになった。 博は耕三を応接室に通す。 「コーヒーでいいですよね」 博はそう聞いて、耕三にコーヒーを入れた。 「今日は、何の御用件でしょう。何か、うちの仕事に、ご不満でもありましたか」 「いいえ。そういうわけではございません。ちょっと、こちらの事務所の方に、お頼みしたいことがありまして」 耕三は、持っていた小さな鞄の中から、一通の手紙を取り出した。 「これを、母に渡してもらいたいと思います。お願いできますか」 「それは、構いませんが」 博は、手紙を受け取る。 「お母様とは、やはりお会いになっていないのですか」 余計なこととは知りつつ、博は聞いてみる。 「はい。この手紙で、母とのつながりは、最後にしたいと思っています」 「どうして、そこまで、親とのつながりを断ちたいのですか」 「それは、個人的なことですから」 その通りである。博は、手紙を受け取るだけにすることにした。
『お母さん。妻の佐知子は、十年前に死にました。決して、許されることのないまま、僕と運命を共にしてくれたのです。僕は、これからも、佐知子のために生きて行こうと思っています。ですから、あの家には戻れませんし、お母さんにも会えません。お父さんは亡くなったそうですね。葬式にも行けず、お墓参りもできず、申し訳ありません。これから、お母さんは長生きをしてください。会うことはありませんが、心の中では、いつも思っていますので』
耕三は手紙を置いて、事務所を出て行く。 博は手紙を、机の中にしまった。
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