居酒屋で若い男二人が喧嘩をしているという通報を受けて、太田と中村はパトカーで現場に向かった。居酒屋の前には、人だかりが出来ていた。太田と中村は、人だかりの後ろから、居酒屋の中に入る。 店の中は、滅茶苦茶に荒らされていた。その中に、一人の男が、鼻と口から血を流して倒れていた。 「救急車は」 太田は、店の端にいた店員に声をかける。 「呼びました。すぐに来ると思います」 店員の一人が答える。 倒れている男は一人で、喧嘩相手であるもう一人の当事者が見当たらない。 「喧嘩は、二人だという通報だったが」 太田はまた店員に聞く。 「もう一人は、その人を殴り倒した直後に逃げました。多分、暴力団の組員じゃないかと思います」 やはり、そうかと太田は思う。今、目の前に倒れている男も、一見、暴力団ふうだった。 救急車が来て、隊員が男を担架に乗せ、救急車に運んだ。太田は中村を現場に残し、自分は救急車で病院に同行することにした。男に意識はあるが、口が腫れていて、喋ることは困難なようだった。 救急車は、近くの病院に男を運んだ。男は、応急手当を受け、病室に運ばれた。太田は男に付き添う。 「喋ることはできるか」 太田は男に聞いた。しかし、男は小さく首を振る。 「なら、俺の聞いたことに、首で返事をしてくれ。君は暴力団員か?」 男は頷いた。 「君は細川組の組員か?」 男は首を振る。 「なら、大野組の組員だな」 男は頷いた。 「喧嘩相手は、同じ暴力団か?」 男は首を振る。 「一般人か?」 また、首を振った。 どういうことだろうと、太田は思う。 「相手の身分を知らないということか」 男は頷いた。 「相手の男とは、初対面か?」 男は頷いた。 「喧嘩の原因は何だ? 君がふっかけたのか?」 男に反応はない。と、いうことは、この男が喧嘩の原因を作ったのだろうと太田は思う。 「何か、身分を証明するものは持っていないのか」 男は首を振った。 「君の身辺は、後で調べさせてもらう。店の修理代は、君が払うことになるだろう」 男は首を振る。 「それとも、親分に払ってもらうか?」 男はまた首を振った。 どのみち、店の修理代は、この男が払うことになるだろう。兄貴分や仲間が助けてくれると思ったら大間違いである。今のヤクザには、人情も何もない。 「踏み倒そうなどと考えるなよ。その時は、俺が別件でも逮捕してやるからな」 少し、脅してみる。この男はここに置いて、太田は、現場に戻ることにした。 居酒屋では、中村が周辺情報の聞き込みをしていてくれた。逃走した喧嘩相手は、二十代半ばの若者で、長身で筋肉質な体格。見た感じは、スポーツマンのタイプらしい。 「店員や客の話によると、喧嘩を仕掛けたのは、病院に運ばれた男の方だったようです。しかし、あの男は見ての通り、かえってボコボコにやられてしまったというわけで」 「やっぱり、暴力団の関係者か?」 「それは、わからないということです。その男が、この店に来たのは、今日が初めてだったそうで」 「互いに、面識はなかったというわけか。突発的な喧嘩だな。ヤクザにはよくあること」 「しかし、一つ、気になることが」 「気になること?」 「逃走した男は、倒れた男から、何かを奪って行ったようだという目撃証言がありました。それが何なのかは、よくわからないということですが」 「財布か何か、か?」 「いいえ。倒れた男の財布は、ここに」 中村は、黒い上着を手にして、ポケットから財布を取り出した。 男は上着を店に残したまま、病院に運ばれたらしい。 もう一度、病院に行って、話を聞く必要があるようだと太田は思った。
|
|