「ううううん!」 その時、ドアの向こうで大きな咳払いがした。料理長が来たようだ。匠はことのほか低い声で入室を許可した。 「御用と伺いましたが。」白井は緊張した面持ちながらも何かニヤニヤしている。おそらく匠たちの会話を外で聞いていたに違いない。 「立ち聞きしていたのか。」既に普段の匠に戻っている。 「とんでもない!私がここに来たとき、聞こえてきたのは本気で好きになる男が〜のクダリだけですよ。」手をブンブン振り、白井は慌てて否定した。 「ふん、どうだかな。それより随分遅かったな。アフリカから来たのか。」チクリと厭味を言う。 「いいえ。加賀美の言っている意味がわからず今までかかったんですよ。それで何なんですか?」 「まったく。あいつは・・今度、国語の勉強をさせろ。榊原にもこれから言うことなんだが、料理長の許可をもらわないといけないことだから加賀美に行かせた。――― 今度、レストランを開こうと思う。出資者は周防建設だが、実際はオレがやる。その料理長に加賀美を置きたい。あんたはどう思う。」 「は?」 「加賀美を引き抜きたい。」 「は?」 「何度も言わせるな。イエスかノーか。それだけ言え。イエスなら榊原にこの件を伝えなければならない。」 「はぁ・・少し、考える時間をいただけませんか。 その、あまりにも、急な話で・・・」 「急な話? オレのメモを見たんじゃないのか。 見たなら少しくらい頭を働かせてもいいと思うがな。 オレはあいつの腕を買った。」 「で、ですが、あの子にはまだ、経験がありません。 確かにぼっちゃんのメモを榊原さんに見せられた時はあの子にチャンスが来た。と思いました。しかし、それはあくまでもこの厨房内でのことです。いきなり店を任せるだなんて。いくらなんでも無謀すぎます。」 「経験? それは若い、ということか。」 「もちろん、それもあります。ですがそれだけじゃない。経験というのは年月を重ね、初めて取得できるものです。あの子にはそれがない。」 「そうか。と、いうことは、オレもその部類に入る、ということだな。 何しろオレはまだ17歳だからな。」 「ぼ、ぼっちゃんは別です!ぼっちゃんは並の17歳じゃありません。私はぼっちゃんを小さい頃から見てきました。経験からするともう1人前です。」 「言ってる事が矛盾している。 まぁいい。 ではこうしよう。 料理長は加賀美。そして顧問兼アドバイザーとして加賀美の祖母をつける。 これでどうだ。」 新たな提案に白井は唖然とした。本格的な料理をしたことのない一般人をアドバイザーに据えるだと!とんでもない事を言う奴だ!白井の顔色が変わる。すかさず匠はそれを見て取った。
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