「い、いえ、わ、わかりませ・ん。 す、すび、ば、しぇぇん」最後は聞き取れない。 「そうか。 じゃそのまま聞け。オレの夕食はおまえが考えたのか。」 かすかに頷く加賀美。 「そうか。 誰がこんなものを作れと言った! オレは斜陽族じゃない!全部作り直せ! 1時間だけ待ってやる。いいか。わかったらさっさと行け!」 2発目のカミナリが落ちると加賀美はギョッとして何度も転びながら駆けて行った。その背中に向かって匠は叫んだ。 「オレは今、ものすごく気が立っている。それを忘れるな!」 「大丈夫かしら。加賀美さん。」 身体をクッションに持たせかけ、粥の入った椀を見つめ沙織が呟いた。もう自分の身体はどうでもいいらしい。 「匠さんにあんな風に言われて加賀美さんも可哀想だわ。一生懸命作ったのに。」 「あいつはプロだ。おまえが口を挟む筋合いのものじゃない。それにあれくらいのことでダメになるようならそこまで、ということだ。ヒントは与えた。それがわからなければ一流にはなれない。」そう言って匠はまたソファに身を沈めた。
1時間を少し回った頃、ドアがノックされた。沙織が入室を許可すると、静かに扉が開き、ワゴンに乗せた料理を携えた加賀美が入ってきた。 「遅くなって申し訳ありません。」 「ごめんなさいね。私がこんな風にならなければ、あなたに手数をかけずに済んだのに。」 「いいえ、とんでもありません!私が至らないばかりに匠様のご不興を買ってしまって。」 沙織のいたわりに加賀美は恐縮して答えた。落ち着かないのか、しきりに前掛けをいじっている。 「ごちゃごちゃ言ってないで早く支度してくれ。 今度は何だ。」 「は、はい。」 加賀美は返事もそこそこにまずホーロー鍋の蓋を取った。するとホワーッと湯気が上がり、何とも言えない爽やかなミントの香りが辺りを覆った。 「まぁ、いい香り。これは何ですの?ミントのような感じですけれど。」 「はい。その通りでございます。先ほど匠様からヒントを頂きましたので。まずお気を静めていただこうと思いました。それにはこの香りが一番良く効きますので・・お気に・・召しません、でした、か?」 匠の表情が全く変わらないせいで、加賀美の語尾が段々と小さくなる。顔色を伺いながら1つ1つ確認し、説明を始めた。 「・・これは、利尻昆布でだしを取り、天然のうなぎを素焼きにして入れたおじやと、はまぐりの潮汁。秋ナスのフライ。きゅうりとたこの酢の物に大根の即席漬けでございます。」 今回は徹底して純和風である。それについて匠は一切口を挟まず、箸とおじや入りの椀を手に取った。そして一口すすると、ジロリ、と加賀美を睨んだ。目と目が合った瞬間、加賀美はメデューサに見られた気がして硬直した。 「加賀美。」 はい。と返事をしようとしたが、息が詰まって声が出ない。代わりにヒェッ!と変な音がした。
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