「則之。おまえ、匠ぼっちゃんの昼食に何を作って差し上げたんだ。」 白井はいつも通り、加賀美を名前で呼んだ。思いがけない質問に加賀美と中井はお互いの顔を見た。 「どうした。ワシは何を作ったと聞いている。別におこっているわけではないから正直に答えなさい。」 「は、はい。あ、あの。お疲れのご様子と鈴波さんから伺いましたので、舞茸おこわとにらの卵とじ、ナスの浅漬けに若鶏の香草焼きと白和え。それから身体が疲れている時は煮豆がいいと祖母に聞いていたのを思い出してそれをお出ししました。あ、デザートは巨峰と洋ナシのコンポートで、お飲み物はいつもの得宗玉露です。 それが、なにか・・」再び加賀美の心に不安がよぎる。 「そうか・・・おまえ、今晩から匠ぼっちゃんの食事の用意をしなさい。これはぼっちゃん直々の命令だ。」 普段のままの言い方に、2人は気の抜けた顔で白井を見た。先に状況を把握したのはやはり中井で、突然素っ頓狂な声を上げた。 「なななんですってぇ!こ、こいつに匠さんの食事を作らせるですってぇ!!ああ!なんてことだ!料理長、い、いったいどういうことなんですッ!」 尋常ではない中井の態度から、加賀美もそれがとんでもないことだと気づいた。でもなぜ、副料理長はこんなに興奮しているんだろう。と思った。それも当然のことだ。匠が沙織以外の人間が作った料理を一切受け付けない、ということを彼は知らなかった。習慣から沙織が食事の世話をしているのだ、と勝手に思い込んでいたし、その事実を誰も彼に教えてくれなかった。既成の事実として得宗寺家ではそれについて特に話題に上る事もなかったからだ。そもそも白井にとってお昼に匠の食事をコックに作らせる、ということ自体、信じがたいことだった。増して、若い、経験の少ない加賀美に作らせるなどもっての外だ。それがどうだろう。匠自身の口から(自筆でそう書いてあるのだから言っているのと同じである。)加賀美を自分付きの料理人にしろ。だなどと言ってくるとは。 「のののりゆき。あー!なんてことだ!悪い事は言わん。このままここを辞めて実家に帰れ。匠さんにはお嬢様から何とでも言い訳してもらうから。 な!」 中井の狼狽ぶるが白井にもわかる。しかし料理長として前途有望な若者にチャンスを与えてやるのも仕事である。 「まぁ待て、中井。 いいか、則之。匠ぼっちゃんの食事を作る、ということは得宗寺家の料理場としては名誉あることなんだ。おまえは知らんだろうが、ぼっちゃんは沙織嬢ちゃんの作ったもんしか口にしなかった。他のもんが作るとものすごく暴れてな、手が付けられんのだ。それは今でも変わらん。それがどういうわけかおまえだけは別らしい。これは最大級のチャンスだ。認められれば故郷に錦を飾る事も可能だ。どうだ、やってみる気はないか?」 白井の後ろでヤメロというそぶりを見せる中井だったが、白井の優しげな態度に後押しされm加賀美は思わず頷いていた。 「そうか。ではグズグズしておられんぞ。すぐ今晩の献立を考え、支度しなさい。ただし、他の者は一切手を出さんから。手を出したのがわかったらその時点でおまえとそいつはクビだ。いいな。必ずひとりでやるんだぞ。」
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