「・・・たく・み・・たくみ・・匠ッ! 起きなさい!警察から電話よッ!」 けたたましく母、明子の声がキンキンと耳に痛い。匠はベッド脇の受話器を手探りで取った。 「・・・はい?・・」 寝起きというのがはっきりわかる程のしゃがれ声だ。 「真田ですッ!お疲れのところ大変申し訳ありませんが、これからご足労願いたいのですが、いかがでしょうかッ!」 母に負けないほどの大きな声が受話器の向こうから響いた。ソワソワしているのが声の調子でわかる。時々、「ハッ!ただ今!」と誰かに返答している。その都度、声がくぐもるのは送話部分を手で押さえているからだろう。話ぶりから相手は偉い人のようだ。それでも寝起きの匠は思考能力がほぼゼロの状態にある。それが誰であれ、お構いなしだ。 「オレは・・いま・・さい・こ・うに・・きげん・・がわるい。 ジャマするな!」 最後は怒鳴りながら電話を切ってしまった。再び爆睡。次に目が覚めたのは夕日が窓から差込み顔を照らし、その眩しさに耐えられなくなったからだ。 (朝か・・・・ん?・・・・たいへんだ!) 時計を見ると5時半。しかし午前と午後が逆になっている。ベッドから飛び起き、部屋のシャワーを浴びるとすっかり身体は元の調子に戻っていた。今度は空腹を感じ、キッチンに下りていくと、母と別な声が軽やかに談笑している。その人物は匠に背を向けて座っていたが、明子の表情の変化でくるりと振り返り、親しそうな笑顔を見せた。 「お待ちしていました。朝、電話をしたときは怒鳴られてしまいましたからね。失礼かとは思いましたが押しかけてしまいました。」 真田だった。ところが匠には電話を受けた記憶がない。増して昨日今日会ったばかりの人を怒鳴るなんて・・・あり得ない。そう思った。 「冗談でしょう?ぼくは電話など受けていませんよ。」 冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注ぎながら言った。 「あら?私、あなたに電話取り次いだわよ!」脇から明子が口を挟んだ。 「ウソだろう。全然覚えがないぞ。」 あっという間に2杯ゴクゴクと牛乳を平らげ、コップを置いた。 「本当よ。確かに警察の方だったわ。真田さん、というのはさっき知ったんだけどね。」 明子の助け舟に真田はどうです?とばかりに胸を張った。匠にとっては信じがたい話ではあるが、そう言われてみれば、おぼろげに電話を取り怒鳴ったような気がしてきた。あれは夢ではなかったのか、一応聞いてみることにした。 「もしかすると。ぼくは。あなたに、失礼なことを。 たとえば、怒鳴ったりしました、か?」 半信半疑な口ぶりに真田は微笑みながら頷いた。 「いやぁ、今朝は本当にびっくりしましたよ。電話を切ったあと心配になりましてね、沢木さんに聞いてしまいました。周防さんにこういうわけで叱られましたってね。そしたら沢木さん、何て言ったと思います?匠さんに怒鳴られるなんて余程のことだ。間が悪かったなぁ。なんて、まるで他人事のように言うんですよ。それからとにかく匠さんの機嫌が直るまで待つことですね。とも言われ、失礼かと思ったのですが、私も仕事上やむを得ず、お邪魔したわけなんです。」 失礼とは言ったものの、真田は心にもないことを言っている、と匠は感じた。しかし仕事上と言われると(警察からの呼び出しは予想していたので)言い返すこともできない。しぶしぶではあるが、匠も納得せざるを得ない。 「そう、でしたか。申し訳ありませんでした。 それで、いつからお待ちなんですか。」 「そおねぇ。10時くらいでしたかしら。ここにいらしたのは。お昼に一旦戻られて、またいらしたのは1時だったかしら。」と明子。 「10時。ですか? 声をかけて下さればお待たせせずに済んだでしょうに。」今度は心底申し訳なく思い、頭を下げた。 「いいえ。とんでもありません。待っているのも私の仕事ですから。 署までご足労願えますか?」 物腰は柔らかだが有無を言わせぬ口調だ。 「むろんです。さっそく行きましょう。 じゃ、行って来る。」 明子に声をかけ、真田に先んじて玄関を出た。あたりはすっかり暗くなっており、待機していた自動車の色合いと相まって危うく行き過ぎるところだった。時計を見ると6時40分。秋の日暮れは早いのである。
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