「・・・・10時頃でしたでしょうか。あの人から電話がありました。理由も言わず、今すぐお屋敷へ来い。ということでした。私がすぐ駆けつけるとあの人は裏門で待っておりました。お暇をいただいてから足を踏み入れた事がなかった私は、どんな理由があるにせよ、中へ入るのをためらいました。けれどあの人はだんな様の命令だからと、ただひと言だけ言って私をだんな様の私室へ連れて行ったのです。奥様にお仕えして数年、だんな様のお顔を拝見したことなど数回したなかった私にだんな様は今まで苦労をかけた、これからは榊原の正式な妻としてこの家を切り盛りしてくれ。と仰って・・・」 感極まったのか早苗は顔を押さえた。必死で涙をこらえている姿が痛々しい。匠と沢木は彼女が落ち着くのを辛抱強く待った。 「・・そ、そのあと・・私はあの人から使用人たちに正式な妻としてまた、沙織様が成人になられるまでの女主人代行として紹介されました。 そのうち警察からだんな様に電話が入り沙織様が入院されたと知らせがありました。そこであの人の命令で使用人たちに詳しい事情は伏せて私がここに参ったのです。・・・こんな、こんなお姿にな、ら、れて・・・」 沙織のそばに近寄り、いとおしそうにその顔を撫でる早苗。匠はその様子をじっと見ていたが、やがてポン!と膝を叩き、「なるほど。わかった!」と言って立ち上がった。無言で顎をしゃくり、沢木に外へ出ろと促した。そして早苗の背中を優しくポンポンと叩くと、「あなただけが便りです。沙織を頼みます。」と声をかけ廊下に出た。
「どう、思います?」 さっそく沢木が口を開いた。早苗の話がすぐには信じられないといった口調だ。 「おそらく、彼女の言う通りだろう。それしか考えられない。沙織の看病をしていることもそうだが、彼女は榊原の影に隠れて生きてきた。決して出すぎたことはしないと思う。・・とにかく一旦戻ろう。秀一氏に報告もしなくてはならないし、おまえもいつまでも自分の仕事を放っておくわけにはいかないだろう。」 「いえ。私は会長がご自宅にいらっしゃる限りフリーですから。その間何をしようと呼び出しがないうちは全く問題はありません。それにこんな経験。匠さんと一緒でなければできませんからね。」 ニッと笑った沢木は秘書という立場より悪ガキ集団の1人に見えた。 「ふん。遊びじゃないんだぞ。・・・でも、まァ、いいか。終わりよければ全て良し。だ。」 「そうですね。」 2人は事件が無事解決した安堵感で胸が一杯になり、足取りも軽く得宗寺家へ戻った。
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