得宗寺家では榊原が沙織の安否を気遣いながら匠の手腕を信じ、使用人たちの動揺(主である秀一の帰宅が原因)を押さえようと躍起になっていた。当の秀一は書斎に籠もったまま沈黙を保っている。それが彼らの不安に拍車をかけていた。 朝になり匠と沢木の登場で今度は別の不安が広がった。沙織の不在が彼らにバレてしまったのだ。これまでも沙織が帰宅しないことはあったが、それらは全て匠が絡んでいた。しかし今朝に限っては全く違っていた。匠の後ろにいるのは秀一の秘書の沢木。何か重大な事件が持ち上がったであろう事は誰の目にも明らかだった。その後再び出て行った匠たちの表情は暗く、心なしか焦りが感じられた。それは榊原もすぐ感じた。その変化をそのまま使用人に広がってはならないと、ことさら細かいことにもいちいち指図を出した。忙しくしていれば余計なことを考えずに済む。その時、呼び鈴が鳴った。主人の呼び出しに榊原は持っていた鉢植えの花をその場に置いたまま書斎に駆けつけた。 「お呼びでございますか。」 「用があるから呼んだのだ。」 「申し訳ございません。」ジロリと睨まれ、榊原は少し萎縮した。 「先ほど匠が来ていたのを知っているだろう。」 「はい。沢木さんと一緒でした。」 「うむ。今回の件の中間報告に来たのだ。」 「では! 解決でしょうか!」思わず気色ばむ。 「そう焦るな。そうではない。そうではないが、大方解決だ。犯人の目星も沙織の居所もわかった。あとは山谷君の領域だ。任せておけばいい。」 「山谷?・・・警視総監の山谷五郎氏ですか!ししかし!警察に知らせたらお嬢様の身の安全は保障しないと。」 狼狽する榊原に秀一の目もとが微妙にほころんだ。 「私もそう言ったのだが、匠の考えは違うようだ。私も一応、親だからな。沙織の身が心配だ。しかし餅は餅屋。あいつはそう言っていた。なるほど、と私もそう思った。だから許した。・・・榊原。」 秀一は一呼吸置くために立ち上がり、太陽の光をたくさん取り込めるように設計された大きな窓の傍に近寄ると、タバコに火をつけた。 「はい。」 その様子を不安そうに見ていた榊原の動揺が返事に現れていた。 「おまえの推挙がなかったら私はあの男の芽を幼いうちに摘み取っていた。沙織をくれだなどと、とんでもない事を言った男だ。たとえ子供でも許す事はできない。ところがおまえはそのとんでもない子供を私の後継者にしろ、と言ってきかなかった。あの時私はおまえをその場でクビにしようと思ったほどだった。・・・それについてはおまえとおまえの妻子には申し訳ないことをした。」 思いがけない告白に榊原の身体が硬直した。 「・・・あの時。私はおまえに匠を取るか、妻子を取るか、と迫った。まさかおまえの匠に対する想いがあれほど強いとは考えもしなかったからだ。・・・すまなかった・・・おかげで私は何年後になるかわからんが、安心して引退することができる。」 冷徹無比と謂われ、寸分の感情もない。といわれ続けてきた秀一が他人に対して初めて見せた優しさに、榊原の目から大粒の涙が流れ落ちた。喉に声がへばりつき、嗚咽となって吐き出された。 「わわわたくしは・・・」 「もし、おまえ達夫婦の仲が修復可能ならここに呼び寄せるがいい。そして息子はここから学校に通わせ、最高の教育を受けさせるのだ。良いか、私がここにいるうちに2人を呼びなさい。」 「は、はい。 あ、りがとう・・ご、ざいます。」 ついに榊原はこらえ切れず、床にひれ伏して泣いた。
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