ガラにもなく沙織に優しくしてしまった上にあんなことまでした匠は、それを隠すように眉間に皺を寄せ教室に戻った。あとから冗談だと弁解したとしても、よくもあんなことができたものだと、やってしまったことにどう説明をつけようかと悩みだしてもいた。なぜあんなことをしてしまったのだろう?どう解釈をつけようか・・・ 「うーん。」 両手を組み、渋面を作った匠が唸ったものだから、黒板に例題を書いていた教師が驚いて振り返った。 「す、す、すおうくん? な、なにか、もんだいが、あ、ありましたか?」 かなりビクついている。常日ごろ、匠に間違いを指摘され、このクラスに来るのを嫌がっていた彼は、匠のうめき声に泣きそうな顔を見せた。その上匠が目を閉じたままの姿勢を崩さないため、チョークを持った手がブルブル震えだした。見かねたクラスメイトが匠のわき腹をつついた。現実に戻った匠はその生徒をジロリとねめつけたが、彼は臆することなく(慣れているため)教師を顎でしゃくり匠の注意を前方に向けた。ホッとため息を漏らし、教師はカラカラに乾いた声を出した。 「す、すおうくん。・・こ、このもんだいは、ま、まちがって、いますか?」 「え、あ、・・はい。いいえ、正解です。・・・何かありましたか?」 「い、いや。さっき君がうなり声を上げたのでもしかしたら私が間違っていたのかと・・」 声も聞き取れないほど小さいばかりか、存在そのものも消えてしまいそうだ。 「そんな声を出しましたか。」 キョトンとする匠にクラス全員が何度もうなずいた。生徒に勇気付けられたのか、少し元気を取り戻した教師は、 「けっこう大きな声でしたよ。何かあったのですか?周防君らしくありませんが。」 「いいえ。申し訳ありません。先生の邪魔をしてしまいました。」 スッと立ち上がり、深々と頭を下げる匠を見て、教師はかえって萎縮してしまったが、折り良く終業のチャイムが鳴り、挨拶もそこそこに教室を出て行った。隣の席に座っていた本山という生徒(匠を小突いた者)がすかさず椅子ごと身体を寄せてきた。 「さっきはどうしたんだ。おまえらしくないぞ。」 興味津々な態度に匠は眉をひそめ無言で答えた。 「ま、何かあったことは確かだよな。わけもなくおまえがあんな声を出すはずないしな。なぁ、何かあったんだろう?」 ニヤニヤ笑いながら肩に手を掛けてくる本山のその手を払い、匠はなおも沈黙を保ち続けている。ところがそんなことに驚く者はこのクラスにはいない。なにしろ1日中、匠と肩を並べ授業を受けているのだ。彼のダンマリにいちいち驚いていたのでは神経が持たない。それがわかっているだけに彼もまた、黙して語らずの姿勢を崩せない。とどのつまり、持久戦になり、結果、いつも匠が勝者となる。女性徒ならまだしも、男はいつまでも芸能レポーターよろしく、他人のプライベートを探る続けようという意思の強い奴はいないのである。本山しかり、である。彼は肩をすくめると、わかった、とばかりに匠の肩をポンポンと叩き、椅子を元の位置に戻した。
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