夜。昼間の試合などすっかり忘れたかのように、匠は沙織から今日の得宗寺家の様子をうんざりした顔で聞いていた。 「・・・それで? ったくおまえは話はいつも同じだ。○○が何をしました。○○が××という女優のウワサをしていました。○○が何を食べました。 いったいおまえには考える、という技は使えないのか。 話にもならない。」 八つ当たりだとはわかっていたが、匠は沙織の話す内容にイラついていた。 「ごめんなさい・・・」 今日の一件を知らない沙織は、匠の怒りは自分が招いたものだと思った。試合は絶対見に来るな、と釘を刺してあるため、今まで一度も沙織は匠の勇姿を目にしたことがない。全て後から誰かに話しを聞かされるだけだ。それで十分だと沙織も思っていた。試合をしている匠を見てしまったら最後、叶わぬ夢を見てしまいそうだった。その代わり、殆どの試合を榊原が見に行っていた。彼の話しぶりからあらましを知るのだ。 「おまえの調査ではいつになったら解決するのか見当がつかない。 オレが行って調べる。」「え?」 沙織の驚きぶりを背中で聞きながら匠は家を出た。近道すればほんの3〜4分の距離だ。
「数日前、この家の前で沙織が女の人を拾った。」 沙織を遠ざけた匠は得宗寺家の執事である榊原と対峙した。得宗寺家のことは全て把握していると見越しての事だ。沙織が傍にいれば何かと話しづらいこともあろうかと、わざと席を外させた。 「女の人、ですか。いくつ位の方でしょう。」 「年は40と言っていた。沙織に言わせれば美人らしい。オレは普通だと思うがな。」 「それは匠さんご自身が美しいお顔をなさっているから世の女性は全部、並に見えるのでしょう。」 「からかっているのか。オレの顔程度は掃いて捨てるほどいる。話をはぐらかすな。」 「からかってなどいませんよ。本当のことです。 それでその方のお名前は?」 「スズナミサナエ。と言っていた。」 何気なく口にした名前だったが、珍しく榊原の表情に変化が現れた。 「スズナミサナエ・・・様、ですか。」 「ああ。 おまえ、何か知ってるな。」 「とんでもありません。私は何も存じませんよ。」 「オレの目をごまかすつもりか!オレは騙されんぞ。 おい!何とか言え!」 榊原の胸倉を掴み、グイと迫る。 「・・・らしくありませんね。匠さん。」言いながら匠の手を静かに払う。 「オレらしくないとはどういう意味だ。」 「いかなる場合でも感情を表に出すな。と教えられてきたではありませんか。それとも今日の試合の影響ですか。」 「なんだと! もういっぺん言ってみろ!」再び胸倉を掴む。 「あなたは試合に勝って勝負に負けた。あれが真剣なら即死でしたね。相手は卑怯な手を使ってまでもあなたに勝ちたかった。それを見抜けなかった自分に腹を立てている。そうじゃありませんか?」 榊原の一句一句は、匠の触れてはならない琴線に触れてしまった。スッと掴んでいた手を離すと、匠の目は冷たい光を帯びていた。 「スズナミサナエの本名は榊原サナエ。つまり、おまえの妻だ。」 背筋が凍りつくような声で告げると、匠はそのまま部屋を出て行った。その背中を見送った榊原は呆然と立ち尽くしていた。
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