「おい。そろそろ着くぞ。いつまでメソメソしてるんだ。」 車はいつの間にか周防家近くまで来ていた。慌てて気を取り直す沙織に、榊原が社内電話でその旨を伝えた。一旦、家に戻り身軽な服装に着替えてから屋敷に行きたいと告げると、ほどなく車は周防家の門前で止まった。車から降りた匠は2、3言榊原と言葉を交わし、そのまま中へ入って行った。置いてけぼりを食った沙織ではあるが、何も言わないと言う事はもう起こっていないことだと解釈した。匠の無愛想にいちいち腹を立てていたのでは身が持たない。なるべく良い方に考えなければならないのだ。そんな心のうちを察するはずもないのだが、また榊原から電話がきた。 「匠さんはお嬢様をとても心配なさっておられますよ。 ご安心下さい。」 「・・そんな風に言ってくれるのはあなただけよ。 ありがとう。」 「本当のことですよ。私はでまかせを言っているのではありません。本当に匠さんは。」 「いいのよ。わかっているわ。今日助けてもらったからそれで十分よ。」 榊原の優しさは幾度沙織の身体を包んできた事だろう。そのたび泣きたくないのに涙が出てくる。 「それにしても。お二人が会場から出ていらした時は後光が差していました。神々しいばかりでした。アポロンとヴィーナス。とてもお似合いでしたよ。誰もが認めるカップルですよ。」 珍しく榊原が興奮している。匠が美しいのは周知の事実だ。しかし自分が美しいなど、露ほども思ったことのない沙織には、榊原の賛辞も乾燥した砂漠の中で聞いているみたいにしか思えない。それも匠の長年培ってきた技に他ならない。彼女を見た人は口を揃えて美しいと言う。おまけに優しく、金持ち特有の奢り高ぶったところが微塵もない。したがって榊原の誉め言葉は決して誇張されたものではない。それを匠はずっと否定し続けてきた。ことあるごとに彼女の容姿を皮肉り、その絶対権力をもって彼女に美しさを認識させることなく成長させた。よって榊原の言葉は沙織にとって気休めにしか聞こえなかった。 「気休めを言わなくても私にはわかっているわ。」 「気休め?私にお世辞が言えないことはご存知でしょう。どうしてまた、そんな風に思うんです?」 「匠さんが言うからそう思うの。」 「匠さんが?」榊原は受話器を掴んだまま涙が出るほど笑った。 「何がおかしいの。」 「い、いいえ、しつれい、いたしました。 で、でも。こんなにおかしい話は久々に聞きました。あははは!」 「おかしい?何がそんなにおかしいの?」 「いえ、申し訳、ありません。 でも、これは私の口から申し上げるより、匠さんご本人に聞いてみて下さい。くくくく、あー、笑える。」 なおも笑い続ける榊原に、沙織はプッとほっぺを膨らまし受話器を置いた。2人の胸中をよそ目に、高級車は静かに得宗寺家の敷地内へと入ってい行った。
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