「あの。 申し上げて宜しいでしょうか。」 しばらく黙って車を駆っていた田中だったが、ますます心配になってきた。 「・・・なんだ。」 「おじょうさま、を、悲しませるような事だけはなさらないでください。私の願いは得宗寺家の安泰です。出すぎたことを言うようですが、先ほどの一件は私の胸のうちに収めておきますから、今後あのようなことはお控え願えませんか。」 「・・・・たしかに出すぎた暴言だ。」 その続きを言おうとしたとき、匠の携帯が鳴った。 「はい・・・きみか。どうしたんだい? え? そんなことあるわけないだろう。きみは黙ってオレの愛を受け入れればいいんだ。 ああ、心配しなくても大丈夫だ。・・・好きだよ、真央さん。」 電話の主はさっきの女の子らしかった。田中は電話中の匠の表情を可能な限り見ていた。それはおよそ恋をしている者のそれではなかった。口では愛だの好きだのと言ってはいるものの、顔色は悪く何の感情も表れてはいない。むしろその言葉を発する度必死にこみ上げてくる怒りを抑えているようだった。長々とした会話が終わりようやく電話を切ると、匠はそれを放り投げた。といっても車の中である。電話は助手席に転がった。すると再び呼び出し音が鳴った。5回、10回。何度鳴っても匠は動かない。田中はチラチラと電話を横目で見ながら声をかけた。しかし匠は完全に電話を無視した。やっと諦めたのか、かなりの回数の後、着信音は切れた。一連の行為で田中は何かを得心したのかミラー越しににっこりと笑った。 「私の思い過ごしでございました。出すぎたことを申しました。申し訳ございませんでした。」 それに対し、匠は暗く沈んだ目をミラーに向け、黙っていろという意味で人差し指を口にあてた。その後、車はそのまま得宗寺家に直行した。
「おかえりなさいませ。」 夜も更けていたが榊原は匠を玄関先まで出迎えた。 「ああ。」 匠の返事は相変わらず素っ気無い。だがそんなことを気にする執事ではない。 「ご夕食はいかがいたしましょう。」 匠と肩を並べ、しかし半歩下がって歩く。 「部屋に運んでくれ。」 「かしこまりました。」 そう言って榊原は調理場へ向かうため、匠と別れた。 自室に入ると匠はそのままベッドに倒れこんだ。今日一日の何と長かったことか。追い討ちをかけたのが 山本真央との会話だった。自ら進んでしたことなのに、砂を噛んだようなイヤな気分がいつまでたっても拭えないのだ。思い出したくないのに山本家での30分が否応なしに何度も脳裏によみがえる。口火を切ったのは匠の方だった・・・
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