美味そうなロースとビーフの画像を見ているうちに突然空腹感を覚えた匠は、傍に亜紀がいることも忘れインターホンで沙織を呼んだ。だが応答がない。代わって母、明子の声がした。 「沙織ちゃんなら帰ったみたいよ。なんかとっても辛そうな顔をしてたけど。あんた・・・」 明子が言い終わらないうちに匠はスイッチを切った。沙織が自分の許可なく帰る、ということは今まで一度たりともなかったことだ。異変を感じた匠は、すぐ彼女の携帯を鳴らした。しかしコール音だけが響くだけで応答はない。何かあったのではないか。その時、匠の携帯が鳴った。それは榊原からだった。 「えっ。沙織が?」 沙織が倒れたと聞かされた匠は、どこに行くの?と聞く亜紀を振り切って家を飛び出した。勝手知ったる他人の家。匠は沙織の部屋に飛び込んだ。彼女の部屋はおよそ女子高生のものとは思えないようなものだ。生活必需品のみがきちんと整理されて置いてあるだけだ。1日の大半を周防家と学校で過ごす彼女にとって、自分の部屋は寝るためだけに使用するものだったからだ。その部屋の隅に彼女のベッドがあり、使用人に見守られ沙織は寝ていた。使用人たちは匠の顔を見るなり申し合わせたように部屋を出て行った。すると代わりに榊原が氷の入ったボウルとタオルを持って入ってきた。 「いったい何があった!」 匠は榊原の顔を見るなり彼の胸ぐらを掴んだ。 「落ち着いて下さい。あなたが興奮しても何もなりませんよ!ゴホゴホ・・フー。さすが武術の有段者の力はすごい。」 掴んでいた手を離すと、榊原はホッとしてひと息ついた。手は離したものの匠の瞳は怒りで燃えている。 「なにがあったと聞いている。説明しろ。」 「だんな様から今週末、見合いをするように命ぜられたようです。」 「なんだと!あの人がオレに白羽の矢を立てたのは昨日のことじゃないか!」 「その通りです。ですが断ったのはあなたですよ、匠さん。ゆうべ、だんな様は私に匠さんが承知なさらない場合を考えて2重の手を打つと仰いました。もしこのままあなたが何もしなければお嬢様はご卒業を待たず嫁ぐことになります。」 「じゃ、オレがこれからやろうとしていることは全部無駄ということじゃないか!」 「それは違います。今回の件はあくまで滑り止め的なことです。だんな様はあなたを第一候補に、とお考えです。ですからあなたは計画通り。」 「もういい!オレはあの人の言いなりにはならない。得宗寺家などくそくらえだ!」 「そんなことを仰ったらあなたのご両親はどうなると思います?周防建設は得宗グループの傘下に入っておられる。社員もろとも路頭に迷うはめになりかねませんよ。あなたはそのへんの高校生とは立場が異なるということをご存知のはずです。だんな様も無闇にこの話を持ち出したのではありません。それに・・・あなたが他の候補者より数段有利なのですよ。あなたはだんな様の一番のお気に入りですからね。」 最後はウインクをして見せる榊原に匠は絶対だまされないぞ、と心に誓った。沙織が見合いをするのは仕方のないことだろう。しかしそれなら自分は候補から外して欲しかった。確かに自分はその態度とは裏腹に沙織を全霊を込めて愛している。だからといって『分』というものはわきまえているつもりだ。それを虎の子を起こすようなことをされた挙句、一瞬にして打ち砕かれてしまったのだ。一般人なら諦めもしようが、匠は榊原が言うように一般の高校生とはわけが違った。相手が誰であれ、こんな屈辱を黙って受け入れるわけにはいかないのだ。
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